igelさんのコメント

igelさんより「本質規定」の「再帰的機能」についてコメントいただきました。

igel 『・・・(前略)・・・
以下に私見を述べておきますと、たとえば「労働しない人間は存在しない」と前提したにもかかわらず、「働かない人間がいる」という状態があるとき、「その状態の人間も実は働いているのだ」、という結論を導き出すのも論理的な議論ではないでしょうか?
もちろんその場合の「労働」という概念の定義は、常識的な意味での労働、つまり「現に働かない人間がいるではないか」という状態を指して言うときの「労働」とは異なるでしょうが。
しかし前提をそう規定した以上は、この状態はあくまでも「労働」として再帰的に捉え直さなければならない、というのが「本質規定」だと思います。
それに対し、現に状態がこうなのだからその前提は間違いである、そんな前提は置くべきでない、というのが常識的な結論に引きずられた「規範規定」なのではないかと。
しかしたとえ常識的にはとても労働と呼べない代物だとしても、そう定義=本質規定することで論理の辻褄が合うのなら、そのような主張を排除する理由はないでしょう。そしてむしろあえてそう考えてみた方が、「労働の本質は実はわれわれが常識的に考えていたのとは違ったところにあった」という新たな発見をもたらすかもしれません。もたらさないかもしれませんが。』

「不快という貨幣」関連で最初に書いたエントリーにて、別解釈による包摂の機能があるのではないか、と書きつつ*1、自分の中で理論化できていなかったように思います。「再帰性」(による問い直し)が「規範」(による排除)ではなく、「発見」や「理解」(や「包摂」)を生み出す可能性も中にはある、という大変参考になるご指摘でした。ありがとうございました。

*1:「現代の社会環境への適応形態が表面的に異なって見えるだけではないか」(http://d.hatena.ne.jp/kwkt/20060225#p1