北田暁大×張學錬「バックラッシュの男性学」概要メモ(後半)

バックラッシュ的心理・心情の出てくるベースとは何か

  • 北田氏曰く、バックラッシュについては意識の面と制度の面で考えておく必要があるとのこと。
  • 北田氏は大学に入った頃は「保守」主義者だったとのこと*1上野千鶴子氏の本を読んで「逆差別」ではないかと主張したり、伝統を変えようとすることは設計主義だと批判したり、フェミニズムは生産中心主義的な近代思想である、とか主張していたとのこと。専業主婦があたりまえの生育暦と中高一貫教育の環境と、当時は朝日新聞社会党に代表される市民派への反感を持っておりそれに対抗するために、近代家族を自明視してしまっていたのだろうとのこと。
  • 昨今のバックラッシュ現象は、北田氏の昔の思想遍歴に似ていると感じているとのこと。主張内容ではなく市民派人権派の姿勢・ノリに嫌悪感・距離感を持っている人が多くなってきており、その反対の価値観に飛びつかせているのではないかとのこと。実は右でも左でもなく、左派的なものへの嫌悪感であり、中身ではなく形式が気に入らないのだろうとのこと。
  • 男女のギャップ
    団塊ジュニアの女子の状況を考えてみると、この世代は団塊世代が両親で最も近代家族主義的な雰囲気の中で育ってきた世代であるのが、近代家族主義的な価値観がそのまま残っている男子と比べて女子の意識は大きく変わってきているとのこと。そのギャップが本音の部分で埋まらない限り結婚できない男性が増えてくるであろうとのこと。
  • 親世代とのギャップ
    入籍した人に対する離婚率が団塊世代の親が結婚した当時は1割程度だったのに対して現在は3割程度に上昇しているとのこと。また性と結婚についても大幅に意見が違うであろうとのこと。
  • 男女のギャップと親世代とのギャップによって未婚化という現象が拡がっているのだろうとのこと。男性はすでにその状況に対してストレスを感じているのではないかとのこと。それを一挙に解決してくれそうなのがバックラッシュ派とのこと。
  • 形式的な原因として反市民主義・反サヨ、内容的な原因として男女のギャップと親世代とのギャップがあるのではないかとのこと。
  • 張氏曰く、地方だから保守的というわけではなく、都市部においてもバックラッシュ的政治活動は出てきているとのこと。現政権与党の自民党の中にバックラッシュ的な価値観を持っている人が多いのはある程度の客観的事実であろうとのこと。
  • しかし地方自治体の場合、男女共同参画社会基本法という法律が存在するのに、反対する条例が作られようとしていた荒川区の例を見ても、行政の首長がどういう考えも持っているのかが非常に大きいとのこと。また男女共同参画社会基本法自体が拘束力がなく何を行いたいのか不明な法律であるため、活動計画は地方の民度に依存してしまうとのこと。

男女共同参画社会基本法制定の背景とは

  • 張氏曰く、女子差別撤廃条約の批准など国際社会で営々と築き上げられてきた数々の宣言があるなかで日本も何かしなくてはということで制定された感が強いとのこと。
  • 国際社会でこの種の問題が意識され始めたのは70年代であり、日本は周回遅れだとのこと。70年代に国際社会では女子差別撤廃の制度整備がなされてきたが、日本ではようやく90年代に周回遅れで行われているが、日本以外の各国でもバックラッシュ的な現象は起こっていたとのこと。
  • 男女共同参画社会基本法はなぜ「共同参画」という言葉を使うのかと言えば、もともとの法律の背景は女子差別撤廃、男女平等社会実現への強い改革志向を持っていたのものであったにもかかわらず、曖昧になって「共同参画」となっているとのこと。

何のために女性は社会進出するのか

  • 司会の鈴木氏曰く、女子差別撤廃は幾つか段階があり、最初は権利獲得要求として登場し、雇用などの社会制度からだんだん文化的な側面にはいってくのであろうとのこと。バックラッシュが起こってくるとににまず制度的側面と文化的側面が混同されているのではないかとのこと。また女子差別撤廃の問題とリプロダクティブ(世代再生産)や少子化の問題が混同されているのではないか、これは峻別すべきではないかとのこと。
  • 北田氏曰く、フェミニズムは最初は権利獲得要求として登場し、一番盛り上がったのは70年代の文化論的なウーマン・リブで、これを受けてどう社会を分析していくのかということが80年代に社会学で問われたとのこと。「私的なことは政治的なこと」というスローガンがあったが、どのようなことが「私的なこと」として社会制度に組み込まれているのかということが問われるようになったとのこと。その中にリプロダクションの問題が閉じ込められてきたのではないかとのこと。
  • 日本では1960年代以降の専業主婦維持のための優遇策で多大な援助を与え続けてきたと解釈すると、配偶者特別控除や第三者被保険者制度を撤廃する方向で動いている。再生産費用ということで国家・社会がどう支えてきたのかと考えるために、様々な諸制度を考えなければならない。日本は先進国中最低の育児援助しかしていないことを考えなければならないとのこと。それは日本の戦後の企業中心社会が代行してきたからであり、ここを考えていかないとならないとのこと。
  • 現在はフェミニズム・男女平等の考え方とネオリベラリズム的な(自助自立・結果の平等の否定)理念とが折り重なっており、経済的効率の上昇のためには女子の労働力化という点で共犯関係にあるとのこと。
  • 林氏らは別の観点からネオリベラリズムに近接しており、財政再建のために育児介護というものを家庭の中に内部化してしまおうとしているとのこと。これは80年代に日本が行ってきた政策をさらに徹底することを意味するとのこと。
  • ネオリベラリズムは親フェミニズム的なところも親保守主義的なところもあるとのこと。ネオリベラリズムフェミニズムがどう付き合っていくかは今問われてきているとのこと。
  • 張氏曰く、男女共同参画社会基本法は理念的には男女平等を推し進めることになっているが、実は男女平等を指向するために制定したのではないということが法律に明示的に書かれているとのこと。
男女共同参画社会基本法・前文

我が国においては、日本国憲法に個人の尊重と法の下の平等がうたわれ、男女平等の実現に向けた様々な取組が、国際社会における取組とも連動しつつ、着実に進められてきたが、なお一層の努力が必要とされている。
一方、少子高齢化の進展、国内経済活動の成熟化等我が国の社会経済情勢の急速な変化に対応していく上で、男女が、互いにその人権を尊重しつつ責任も分かち合い、性別にかかわりなく、その個性と能力を十分に発揮することができる男女共同参画社会の実現は、緊要な課題となっている。
このような状況にかんがみ、男女共同参画社会の実現を二十一世紀の我が国社会を決定する最重要課題と位置付け、社会のあらゆる分野において、男女共同参画社会の形成の促進に関する施策の推進を図っていくことが重要である。
ここに、男女共同参画社会の形成についての基本理念を明らかにしてその方向を示し、将来に向かって国、地方公共団体及び国民の男女共同参画社会の形成に関する取組を総合的かつ計画的に推進するため、この法律を制定する。

男女共同参画社会基本法・第一章 総則

第一条 この法律は、男女の人権が尊重され、かつ、社会経済情勢の変化に対応できる豊かで活力ある社会を実現することの緊要性にかんがみ男女共同参画社会の形成に関し、基本理念を定め、並びに国、地方公共団体及び国民の責務を明らかにするとともに、男女共同参画社会の形成の促進に関する施策の基本となる事項を定めることにより、男女共同参画社会の形成を総合的かつ計画的に推進することを目的とする。

  • つまり男女共同参画社会基本法は制定目的からして、女性の地位向上のために制定されたわけではないとのこと。最初から人口減少による労働力人口減少に対応するために、できるだけ移民を入れないで解消するためには働いていない人を働かせるしかないので、男女「共同参画」というものをもってきたというのが実情ではないかとのこと。
  • 北田氏曰く、林道義氏らが主張している男女共同参画社会基本法は「働けイデオロギー」であるというのは正しいとのこと。フェミニズムの立場からすると、保守的な主張をする人々とともにネオリベラリズム的な主張にも対抗していかなければならないとのこと。男女共同参画社会基本法新自由主義フェミニズムの妥協の産物であるとのこと。
  • 鈴木氏曰く、私的な領域をどう考えるかが問われているとのこと。戦後の日本の社会民主主義的な制度は私的なことにかなり口出しをしていて、ある特定のモデル的な生き方には援助を行うということを企業社会中心でやってきたのではないかとのこと。国家が企業を保護し、企業が個人の生活を担うということを高度成長期以来行ってきており、その中にリプロダクティブ、つまり子供を産むということが産業の支援の一環として組み込まれてきていたという一種の総動員体制と理解することができるとのこと。福祉国家モデルが財政破綻などで崩れてきた70−80年代に、それまで国家が面倒をみてきたことを、個人の領域として任せて、国家が組み込まないことを私的なこととして任せてきた歴史があり、それが端的に現れているのが経済・雇用問題であるとのこと。

伝統的思考とネオリベラリズム的思考にどう抵抗するか

  • 鈴木氏曰く、解決策として
    ①もう一度国家が全面的に面倒をみるパターン
    ②個人にすべて任せるパターン
    ③地域で家族にかけられている過大な負担を分散するパターン
    が考えられるとのこと。
  • 北田氏は一度ネオリベラリズムと組まなければならない*2と考えているとのこと。そのときにフェミニズム的立場とネオリベラリズム的価値観のバランスをどう設計していくのかということを具体的に考えなければならないだろうとのこと。
  • 市場的な理念に対して、個人の価値と公正な社会の制度と政治的な資源の配分であり、その後に「効率」というものを考えていくべきだとのこと。ありもしない共同体主義に回帰していくのはいかがなものかとのこと。それもネオリベラリズムが作っている幻想に過ぎないのではないかとのこと。

改めてバックラッシュ的な考えにどう抗していくか

  • 【鈴木氏の問題提起】
    バックラッシュ的動きが起こっていることを考えるに制度的側面と文化的側面があると考えられるが、どちらをより重視していくか。制度的なアプローチは啓蒙であり、文化的なアプローチは男性に対するケアを意味すると考えられるがどちらに軸足を置くか。
  • 張氏曰く、男女共同参画社会基本法4条の規定を思い出すべき。制度と慣習に弊害があればこれを改めるべしとあるので、制度と文化をわけることにあまり意味は見出していなく、制度が変わらなければ文化もかわらないのではとのこと。一番効果があるのはやはり教育であり、それを変えるには制度も文化も変えなければならないとのこと。制度が変わらなければ文化や意識は変わっていかないという認識であるとのこと。制度が差別的というよりも間接差別―結果的に男女に優位な結果の違いが生まれていること―を生む制度を変えていかなければならないとのこと。
  • 北田氏曰く、あえて制度と文化にわけてみると、制度の中にはフェミニズム的な考えが徐々に組み込まれてきており、バックラッシュがあろうが後戻りし様がないとのこと。ネオリベラリズムの問題もあるけれども、まず男女が働きたいと思ったら働ける社会にまずすることが大切だとのこと。まず女子の就職問題が解決することがメルクマークではないかとのこと。文化的にはバックラッシュ的な言説がある程度流通している中で、社会調査を企画しているとのこと。おそらく若い人ほど保守派とは考え方が違うという戦後日本の常識は崩れてきているだろうとのこと。その層にフェミニズムの問題をどう考えるか語りかけたいと考えているとのこと。

*1:その後、転向左翼になったとのこと(笑)

*2:「市場と寝なければならない」との比喩