イベント参加後記

思い返せば、荒川区の問題を僕が初めて知った今年6月の北田暁大氏と宮台真司氏のトークイベントだった。そのとき宮台氏が言っていた80年代における見田宗介氏のエコロジカル・フェミニズム擁護を今後どう考えるかということが重要になってくると思われる。
宮台氏が言うには、見田宗介氏は80年代に上野千鶴子氏と朝日新聞上で論争を行い、イヴァン・イリッチのエコロジカル・フェニミズムを断固擁護したとのこと。イリッチのセクシズム批判とは、ヴァナキュラーなジェンダーつまり土着的な性別というのは男女が通約可能な存在ではなくつまり人間として別々な存在で、別々な存在であるがゆえにある種の厚みのあるコスモロジーに支えられていて、これが同じ人間だという話になってしまったのでどっちの能力が高い低いとか両方が同格に扱われるべきだとか差別にしろ差別批判にしろ両方ともまったく馬鹿げた地平に立ってしまった、男と女はもともと同じ存在ではない、同じ人間だと考えるのがそもそも間違っているのだという挑戦的な主張。
見田宗介氏のこの主張は、林道義氏らの主張と同じように受け止めることもできるし、男女平等という近代合理主義が実現した暁に、ネオリベラリズムによる効率主義が貫徹されることをそれでいいのかと問うているようにも読める。例として書いた2004-11-01の「個人的なことで政治的なこと」の年上の同僚の発言をどう考えていくか。男女はコスモロジーが・生きてる世界が違うから効率の阻害要因と考えるのか。男女はコスモロジーが・生きてる世界が違うから機会の平等が保障されるべきなのか。僕は件の発言があったとき後者をまず考えたが、例の彼にこの言説は通用しないと諦めた。それが僕の悪いところであるのだけれど。