イラク人質事件:「人質事件・迷惑論について」エントリーへのコメント

20040416:人質事件・迷惑論について(http://d.hatena.ne.jp/kwkt/20040416#p1)のコメントに対して長い文章を書いたのでエントリーにしようと思います。

# デニム
『「在外邦人の保護」とは、今回においては即ち「退避勧告」ではないのでしょうか?
「危険なので退避し、行かないようにして」と。
予防こそがリスクマネージメントの根幹ですし。
ならば、今回のようにこれを無視して、国の「在外邦人の保護」を受ける権利を放棄した彼らの行動は、彼らの「自己責任」においてなされたと考えざるを得ないのです。
「行かなければ、拉致されなかった」のですから。
その責任を彼らが全うできていない為に起こった、「在外邦人の保護」活動では本来想定されていない事態を、政府・国民が「迷惑」と考えても致し方ないと思いますが。。』

デニムさん、コメントありがとうございます。以下が私の考えです。
仰る通り退避勧告は予防のリスクマネジメントです。そもそも政府(外務省)の退避勧告は「在外邦人の保護」が目的でなされます。逆に政府は政情不安などを理由とする危険な地域の退避勧告を出さずにいて邦人がその地で危険にあった場合、なぜ予防措置(=退避勧告)をとらなかったのかと「在外邦人の保護」の見地から責任を追及されうるということです。ですから今回イラク拉致事件が起こっても、(当然と思われるかもしれませんが)それで政府の責任が問われることはありません(ここでは「自衛隊派遣」は慮外とします)。
しかし退避勧告が出されたからといって政府の保護活動を免責することを意味しません。つまり「予防」を行うのも政府の役目ですが、危機的状況になった人が実際に出たら「治療(=救出活動)」も行わなければならないということです。この事態は想定されていないことではなく、国民に海外渡航を含む移動の自由があるのであれば、当然想定されていると考えます(頻繁に発生するとは私も思いませんが)。「日本国籍を有する者が保護を要する事態に至った場合全てに適用される」と法律(外務省設置法)に書かれているということは、「国民が○○という条件になったら政府は●●という行動をとれ」という条件プログラムなのです。救出活動の対象の条件は「日本国籍を有する者」という1項だけであり、法律には明記されていませんがどのような目的でその国にいたのであってもそれは問わないことを意味します(実際の法律を知らなかったとしても、憲法統治権力に国民の権利(+生命・財産)を保護することを命じている範囲は「日本国籍を有する者」です)。
自己責任を問うとすれば、退避勧告を出している以上そこで危険な目にあったり死んだりしても仕方ない、ということだと思います。だから「今のイラクに行って地雷を踏んで死んでしまった!」であれば「退避勧告出してましたよ、以上」、「今のイラクに行って武装集団のミサイルが飛んできて死んでしまった!」であれば「退避勧告を出してましたよ、以上」なのです。とすると「今のイラクに行って武装集団に拉致されてしまった!」であれば「退避勧告を出していたのに仕方ないですね、まだ生存していて救出できる可能性があるので政府は救出活動には全力を尽くしますが、その結果までは保証できませよ、あとこれを理由に政策(自衛隊派遣)を変更することはありません、悪しからず」というスタンスが妥当だと私は思うのです。だから政府が救出活動に動いたこと自体は政府の責務であり、国民が「迷惑」などと言われる筋合いはないと考えます。評価する点として、憲法十三条に「すべての国民は、生命に対する国民の権利については、国政の上で、最大の尊重を必要とする」とありますが「公共の福祉に反しない限り」ということになっています。拉致したグループの要求である自衛隊撤退をのむことはこれにあたるという判断は妥当なものだと思います。


>国の「在外邦人の保護」を受ける権利を放棄
これは退避勧告よりも移動の自由を優先させたことによる自己責任は個人の命の保証はないということのみであると考えます。「権利の放棄」となると日本政府が救出に来ても本人が応じない場合だと考えます。


>政府・国民が「迷惑」と考えても致し方ないと思いますが。。
政府が迷惑などと言うのは筋違いと先ほど述べましたが、国民がどう見るかとなると立場が分かれるのでしょう。今回の件が起こらなければ税金を使わなくてすんだ、と考えるか、このようなことが起きた場合に政府が(憲法の命令で)ちゃんと動くこと(契約の履行)が確認できたと考えるか。立場の可換性の問題なのでしょう。私が今のイラクへ行くことがあるとは到底思えませんが、私は後者の立場です。