網野善彦氏を悼む

日本中世史研究家の網野善彦氏が亡くなった。

網野氏は僕の好きな歴史小説家の故・隆慶一郎の作品世界のバックボーンを作ったと言っても過言ではない。


「百姓」と聞いて何をイメージするだろうか?多くの方は「農民」を想像するのではないだろうか?網野氏によれば「百姓」とは「あらゆる職業の人々」という意味であり、必ずしも「百姓」=「農民」ではなかった、したがって「百姓」をどう理解するかで歴史認識は大きく異なる、と語っている。「百姓」が「農民」と置き換えられたため、海民、山民、布を織る女性、職人、土地を持たない商人など多種多様な非農業民が切り捨てられ、その結果「(日本は米作を基礎とする)定住農業社会」という 間違った「常識」が生まれた、と指摘する。
隆慶一郎の作品には「道々の輩(ともがら)」「道々の者」「公界人(くかいにん)」と呼ばれる非定住民が登場する。彼等は一所に定住せず、世間一般との縁を切り、己の才覚だけで世を渡り歩いた。彼等は「上ナシ」「主ヲ持タジ」という意識があり、侍身分からの支配を否定した。課税や補足されそうになると漂流する。逃散(日本史のこの単語を誰か憶えてます?)する。彼等は「無縁」の場所へ行く。それは河原であり、港であり、国境=境(「堺=サカイ」という中世の自由都市はここから生まれる)であり、寺院でもあり(中世期に寺院には土地が寄進され荘園(課税できない、無理やり入ることが許されない私有地)になっていた)、つまり「誰のものでもない」場所=公界であった。よく考えると祭もこの場所で行われる。民俗学的共通性もおおいにありそうな気がする。
織田信長の人生の多くは一向一揆との戦いであったが、一向一揆の抵抗者の中には一向宗門徒ばかりではなく、「道々の輩」たちが己の自由を守るために(=侍身分に「無縁の」場所を支配されないために)命を懸けて戦ったと言われる。信長やその後継者たち「侍身分」が勝利したのち、非定住民はまともな人間ではないというレッテルを貼られてゆく。「道々の輩」たちに近代的自我があったとは簡単には言えないが、自由を求め自主独立を志向する点は理念型の近代人に近かったのかもしれない(世間と縁を切り自主独立を保つというのは、キリスト教の近代を生んだ観念に近い部分があるかもしれないと感じる)。歴史にifはないが、仮に侍身分が一向一揆あるいは「道々の輩」ら非定住民との戦いに敗れ、各地に「百姓ノ持チタル国(何度も言うがどう間違っても「農民」だけの国ではない)」が出現したのであれば、日本の歴史上に「共和国」というものが誕生していたかもしれない。中世をユートピアだったと言い張るつもりは全くないが(この手の研究で危惧されることだ)、この中世の非定住民の視界から見る歴史は非常に興味深い。
故・隆慶一郎が網野氏の史観を小説のテーマとして取り上げ、それが10年近く前の僕に届いた。「自由」というものを考える最初の契機だったと思う。それを思うと、僕にとって大切な方が亡くなった様に思えてならない。