映画『1980』鑑賞

テアトル新宿KERAハチマルナイトに参加。23:00から深夜に?映画『1980』の上映、?ケラリーノ・サンドロビッチ監督と俳優・みのすけ(ナイロン100℃所属)の対談、?演劇『1979』のプロジェクター上映という豪華イベントがあった。これに参加するために『1980』は東京では12/6上映開始だったものをこの日まで待ったのである。
深夜にもかかわらず、250人入る会場は満員ではなかったが200名ほどは来ていた。僕の整理券番号は101番だった。

映画『1980』について。

80年代の思い出アイテム満載である。僕もおぼえがあるものがたくさん登場。とてもなつかしい。俳優の演技も劇団ナイロン100℃の俳優や監督の演出もあってかコミカル。しかし残念ながら、以上。
これは僕が勝手に期待していただけかもしれないが、80年を舞台にするのであれば、当時(さらには80年代)の切迫感みたいなものを表現してほしかった。それを今の現代の視点から見るとどれだけ面白いか、どれだけなつかしいか、どれだけ失ってしまったものがあるのか、ということがわかるような作品にしてほしかったのだけれど・・・。
話の筋は残念ながら80年特有ではなく、今でも成り立ちそうなものだった(もちろんすべてではないけど)。80年代のあらゆる文物的な意匠は非常にしっかりしているが、残念ながらそれだけだった、というどこかノレないものがあった。いいなと思ったセリフはともさかりえの「大人になってみても、ちゃんとオトナになれるわけじゃない!」というのと、犬山犬子の「焦るね?。なんかおいていかれそうで」というもの。しかしこれがストーリー上の問題とあまり絡んでいなかったのが残念。80年代固有の勢い・前のめり・焦燥が表現されていればもっと面白かったのに・・・。
本筋とはまったく関係ないけど、次女役・ともさかりえの「眉間のしわ」と三女役・蒼井優(『花とアリス』のアリス役)の表情がとてもすばらしかった、と思う。

ケラリーノ・サンドロビッチ監督と俳優・みのすけの対談

これも正直言うとちょっとイマイチ・・・。映画作製時の裏話が中心。それを聞きたい人はいいのだけれど。

演劇『1979』のプロジェクター上映

演劇をプロジェクターで上映するという企画にちょっと無理があった。かなりの人が寝ていた(笑)。僕もつらくなって途中で劇場自体を退散。
演劇『1979』は1994年にケラリーノ・サンドロビッチ作・演出で公開されたようだが、これを見て、なぜ僕が映画『1980』に上記のような感想を持ったかなんとなくわかった気がした。その理由はどうも監督の演出方法にあるようだ。最近の演劇を僕は見ているわけではないので断言はできないが、作風がどうも内輪向けなようだ(だから対談も裏話中心だったのかな?)。あくまで演劇『1979』を見ての感想だが、役者の過剰な身振りやヒステリーを起こす金切り声を面白いと感じる人もいるかもしれないが、僕には単なる表面的な意匠の組み合わせにしか見えなかった。劇から浮かび上がってくる寓話(79年当時は人はこのように事物を感じていたものだという世界観)もなにもなく、ただ内輪ネタが延々と続いていたような気がした。映画『1980』に不足しているのも物語を通じて浮かび上がってくる寓話がなきに等しいからだ。80年代の思い出アイテムがある。なつかしい。俳優のコミカルなセリフや動きがある。面白い。以上。アレ?でも何か足りない。『1980』はそんなちょっと燃焼不足な映画だった。


追記:最近平田オリザ氏著『リアルだけが生き延びる』を読んでいたせいもあるかもしれないけど、ケラリーノ・サンドロビッチ氏の演出は、平田オリザがその本で批判していた当のもののように感じられた。ケラ氏の作風のような演劇を好きな一定の層には人気があるだろうけど、残念ながらそれを超えようとするものがないように感じられた。意匠と演出をこえるもの、こそが必要だと思うのだけど・・・(そのために意匠や演出があるのだから)。