That's Japan 連続シンポジウム・教育真論1

夕方から第1回 That's Japan シンポジウム・教育「真」論1 子どもたちをめぐる事件と犯罪 に参加。出演者は宮台真司氏(東京都立大学助教授)、高岡健氏(岐阜大学医学部助教授)、三沢直子氏(明治大学教授、コミュニティ・カウンセリング・センター)の3名。内容は子どもたちをめぐる事件や犯罪でどんな現象が起きているのか、その背景を探るというのが主題。会場は牛込神楽坂区民センター。聴衆は150人くらいだった。


まる激スペシャルで香山リカが言っていたように、それまで精神科の患者のみでみられていたような現象が最近世の中で広範に見られるようになったようで、三沢直子氏は12歳が描く「家と人と木」の絵の1988年のものと1997〜1999年のものとを比較して見せてくれたが、明らかに最近のもののほうが絵の中に家と人と木に関連がなく、また生活感がなく殺伐としている。これにはどのような背景があるのだろうか?
宮台氏が言っていたのはこれまで彼が著作で述べてきた「第四空間化」と「脱社会化」。70年代からの新興住宅地に代表される郊外化が進むことで、昔の農村共同体的なものが崩壊。そのため昔では家・学校・地域で子供の評価に多様性があったものが(例えば「お前は勉強できなくても家業を継げばいい」という家庭など)、家・地域とも学校の成績評価に依存する「学校化」が浸透した結果、子供たちは承認のリソース不足に陥っており、?勉強さえできれば僕でなくてもいいんだという自己評価の低下、?勉強ができるごときで褒めらめまくるための幼児的全能感の保持、が問題になってきていると指摘していた。
「第四空間化」とは家・学校・地域以外の場所に子供が居場所を見つけるようになること。ストリートや匿名空間が代表される。しかしパネリスト3者が特に問題としていたのが「幼児的全能感の保持」。「勉強ができるごときで褒めらめまくるための幼児的全能感の保持」では70〜80年代の高学歴大学でストーカー的行為が頻発。90年代にそれが広範化。幼児的全能感が去勢されず、社会とのコミュニケーションによる達成を放棄してしまうのが「脱社会化」。70年代から最近まで見られる理解不能な少年犯罪の多くは「幼児的全能感の保持」と「脱社会化」である程度説明ができるようだ。
では全能感はどうすれば去勢されるのであろうか?高岡健氏が面白いことを言っていた。「男性が全能感を去勢されるためには、年上または同年代の女の子にふられること」とのことである。単に付き合うのに成功した失敗したという話ではなく、世界に自分に制御不可能な存在が厳然と存在することを徹底的に認識させられることが必要なのではないだろうか?そのためには徹底的な関係の破綻というものもそれはそれで必要なのかなと思う。ちなみに女性の側は三沢直子氏のカウンセリングの経験からすると、全能感を去勢できていないが故の不安から、男性パートナーとの関係が破綻して別のパートナーを見つけるまでの間隔が「一日もない」という人が多くいるようだ。だから関係が終わった後に一人になってみて対象喪失の「喪に服す」ことが必要だと言っていた。どちらも示唆に富む発言で非情に面白かった。
最後に宮台氏がまとめで、少年犯罪などを考える上で、他2人のパネリスト(高岡氏、三沢氏)のように「どうすれば個人が幸せになるか?」と考えることとともに、幸不幸は主観的でもあるため、「どうすれば社会がうまく回るか?」ということを考える必要があると言っていた。ちなみに秩序を優先して、社会がうまく回れば、個人は不幸でも、ひいては国民は全員死んでもかまわないという思想的立場を「国体思想」と言うと紹介していた。あとで思ったのだが実はこれは秩序が守られることが優先であり、それを守れないほうが悪い、と見なすネオリベラリズムの思想と絡み合いやすいのではないだろうか。小泉政権で小泉氏の意見を代表する立場にあったと言われる鴻池元防災担当相の「打ち首」発言の趣旨はどうもここから来ているように思えるし、支持する人も結構多い。これについては今後も考えていこうと思う。とりあえず内容は非常に興味深いものが多く楽しめた。


教育真論は3回シリーズらしく、次回は12月10日(水)に開催されるらしい。出演者は宮台氏、劇作家・演出家の平田オリザがすでに確定で「学校」をテーマに話し合うという。この二人の話は聞く価値ありである。次回も是非参加しようと思う。神田神保町で18:00開始なので会社は休もう(笑)。