新訳『カラマーゾフの兄弟』完結記念シンポジウム「ヴィヴァ!カラマーゾフ」 参加

カラマーゾフの兄弟(1)カラマーゾフの兄弟(2)
カラマーゾフの兄弟(3)カラマーゾフの兄弟(4)
カラマーゾフの兄弟 エピローグ別巻 (5)21世紀ドストエフスキーがやってくる
鼻/外套/査察官イワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ
地下室の手記初恋
 え〜非常に恥ずかしながら僕はまだドフトエフスキー(というかロシア文学自体)に触れたことのない無教養者なのですが、先日近所の本屋に行ってみたら光文社古典新訳文庫なるシリーズで亀山郁夫氏の新訳によるドフトエフスキー『カラマーゾフの兄弟』が目に留まり、新訳で読みやすかったらチャレンジしてみようかなと思いました。でもその本屋には4巻と5巻しか置いてなかったので、そのときは購入しませんでした。それが気にかかっていたのか、東大で亀山郁夫氏新訳『カラマーゾフの兄弟』完結記念シンポジウム「ヴィヴァ!カラマーゾフロシア文学の古典新訳を考える―」というシンポジウムが開かれることをたまたま知ったので行ってみしました。会場は学生さんから年配の方まで200名くらいは入りそうな大講義室が満員で立見がでる程でした。
昨今、光文社古典新訳文庫に限らずロシア文学の新訳が活況を呈しているとのことで、作品自体の魅力とともに「新訳」という点も大きいのではないかということで今回のシンポジウムが企画されたようです。ロシア文学初心者の中の初心者である僕としては初めて知ることばかりで勉強になりました。また文学作品を「翻訳」する・「新訳」するということはどういうことなのかという点についての話が興味深かったです。


※要注:以下のものは、私が見聞きして印象に残ったことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。

第一部:ロシア文学古典新訳を語る―翻訳家大集合

第一部では光文社古典新訳文庫にてロシア文学を新訳された方々によるパネルディスカッションが行われました。最初にシンポジウムの企画者である沼野充義氏から挨拶があったのですが、新訳の意義のひとつとして原作を母語とする人はずっとオリジナルの古い言葉のまま読まなければならないが原作が母語でない人は新訳という新しい・現代の言葉で読み直すことができるということを述べられていました。
登壇者はゴーゴリ『鼻/外套/査察官』を新訳された浦雅治氏、トルストイイワン・イリイチの死/クロイツェル・ソナタ』を新訳された望月哲男氏、ドストエフスキー地下室の手記』を新訳された安岡治子氏、トゥルゲーネフ『初恋』を新訳された沼野恭子氏の4名でした。

  • 浦雅治氏はゴーゴリ『鼻』を落語調で新訳。
    • 師匠・江川卓氏がゴーゴリ『外套』を落語調で訳した先例。
    • ゴーゴリの作品の原文が読むための論理的な文章というよりも流れのある語り・言い淀み言い戻りのある語りの文章のため。
    • 上方調だと関西文化の色がつきすぎるため、昭和の二大名人・古今亭志ん生の語りをモデルに翻訳。
  • 望月哲男氏はトルストイの短編作品を新訳。
    • トルストイの短編作品のイメージは説教臭いが思想を媒介に世の中を変えようという使命感のような熱いものがある。説教風にならないようにかつ熱さや感情が伝わるように翻訳。
    • 翻訳は原作と向き合い自分が体験したことを言葉にするしかなく、「新訳だから」と意識しなくても他の人と同じことはできない(異なるものになる)。
  • 安岡治子氏はドストエフスキー地下室の手記』にある「2×2=4は死の始まり」というフレーズがご自身が扱ってきたロシア文学作品と通底するものがあると感じていたため翻訳。
    • ロシア文学には暗く辛く重い重厚タイプと笑いや軽妙な語り口のタイプのものがあるが、ともに人間は理性や合理主義で割り切れないそこから零れ落ちる部分にこそ意味があるという意識が存在。
    • 後続の20世紀のロシア作家たちはドフトエフスキー『地下室の手記』の思想・認識をいろんなところで参照している。
    • 翻訳とは最も濃密な読書経験。ドフトエフスキー作品は「でも」「しかし」が連続して趣旨が追い難い悪文が存在。わかりやすく工夫して日本語を配置。
    • 自意識過剰な主人公の一人称を「私」「僕」「俺」にするかテイストの違いで悩んだ(「俺」を選択)。
  • 沼野恭子氏はすでに多くの文学者が翻訳しているトゥルゲーネフ『初恋』を新訳。
    • トゥルゲーネフ『初恋』は、初老の男たち三人が自分の「初恋」について語り合う場面で、口下手な一人が初恋をノートにまとめたものを読み上げる部分がほとんどの内容を占める。
    • これは他者に「語って聞かせる」ための物語。説明調ではなく柔らかい話し言葉を選択。
  • トゥルゲーネフは作品中で「父親への愛」を表現。ドフトエフスキーのテーマは「父殺し」。トルストイは「家父長制的な父」を理想としている面があり、チェーホフの作品は「父親不在」。19世紀に活躍した作家たちの「父」の扱いが興味深い。
問題提起:二葉亭四迷によるトゥルゲーネフ『アーシャ(片恋)』翻訳のある一節について
  • トゥルゲーネフ『アーシャ(片恋)』の中で二葉亭四迷は恋愛のクライマックスのシーンで直訳すると「私はあなたのもの」という女性のセリフを「死んでもいいわ」と訳した。
    • ロシア人が「死んでもいい」と言うだろうか。日本の「死の美学」が関係してないか。
    • 二葉亭四迷は江戸文学から脱して近代文学の道を開いたと言われるがこれは一歩後退なのか。
    • 海外の作品を翻訳する際に日本の言葉を使用すれば日本の文化背景が纏わりついてしまうことがあるがどう対処するか/しうるか。
  • 翻訳者は作品を媒介する「透明人間」の意識がある。しかしどうしても自分(や文化的背景)が出てしまう。どの時代でも翻訳者はそれを引き受けざるを得ない。
  • 翻訳者は作品の解釈者であり、それを母語に変換する表現者であり、読者に届けるための演出者でもありえる。
  • 新しい訳によってそれまでの訳との違いが出て、その時代に前提としていたことが浮き彫りになることがある。

第二部:徹底討論―ここがすごい『カラマーゾフの兄弟

ドストエフスキー父殺しの文学〈上〉 (NHKブックス)
ドストエフスキー父殺しの文学〈下〉 (NHKブックス)
 光文社古典新訳文庫で『カラマーゾフの兄弟』を新訳された亀山郁夫氏にシンポジウムの企画者である沼野充義氏が質問する形式の対談でした。

  • 新訳を出す際に先行者たちの訳とどう向き合ったか?
    • 当初、師匠の原卓也氏の訳や江川卓氏の訳を読みながら翻訳。編集者は米川正夫氏の訳を推薦。池田健太郎氏の訳も参考。
    • 会話が直訳にならないようにセリフの雰囲気や流れ・語りのスピードや勢いを殺さないような文体を心がけた。
  • カラマーゾフの兄弟』は次の長編小説とあわせた二部構成の作品とも言われている。ドフトエフスキーはそれを書かずに死んでしまったが「続編問題」はどう考えるか?
    • 亀山氏は『カラマーゾフの兄弟』の続編を空想する新書を出版予定。
    • 国家の「父殺し」としての「皇帝暗殺」のテーマがよく言われる説。
      • 「皇帝暗殺」はテーマであっても、主人公に皇帝暗殺させることはないのでは。
    • ペトラシェフスキー事件(逮捕された多数が死刑、若年だったドストエフスキーは皇帝の特赦からシベリアへ流刑)が関係してくるのでは。
    • 晩年のドストエフスキーの思想として社会主義批判があると思われる。
  • カラマーゾフの兄弟』を翻訳してきて感じたことは?なぜヒットしたのか?
    • ドフトエフスキー作品に接していかに「傲慢さ」が人間にとってよくないかを再認識。
    • 現代の時代状況を受け止めるだけの奥行きがロシア文学にはあるのでは。19世紀の「ロシアの苦悩」が現代の苦悩を引き受ける面があるのでは。

※要注:以上のものは、私が見聞きして印象に残ったことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。

新訳本抽選会

さあ亀山郁夫氏訳の『カラマーゾフの兄弟』を帰りに買って帰ろうかと思っていたら、シンポジウム終了後に登壇者各氏が新訳された書籍を各5名へプレゼントするという企画がありました。希望者が多くて当たらなくてもやはりどうせなら『カラマーゾフの兄弟』だろうと思い抽選券を投じたところ、な、なんと当選! 亀山郁夫氏訳の光文社古典新訳文庫カラマーゾフの兄弟』全5巻をいただいてしまいました。しかも亀山氏のサイン入り。マジでうれし過ぎです。今年の夏の課題図書にしたいと思います。