映画『父親たちの星条旗』鑑賞

父親たちの星条旗109シネマズ木場にてクリント・イーストウッド監督の映画『父親たちの星条旗』を観てきました。
太平洋戦争末期、当時の戦略的な要地であり初の日本の領土での戦闘が行われた硫黄島を舞台とした日米両側からの視点で作られた2部作の1作目。(硫黄島の)「摺鉢山に星条旗を掲げる米軍兵士たちの写真」が、厭戦気分が蔓延しつつあったアメリカで対日本戦の勝利を国民に確信づけるものとなり、その写真に写っていた6名のうち戦地から生還できた3名の兵士たちが(戦費調達の国債販売のためなどで)英雄として祭り上げられる様子が描かれていました。
構成としては、その生還した兵士(衛生下士官)を父に持つ現代に生きる息子が、父が当時(戦中・戦後)のことを何も話そうとしなかったのを父の死を目前にして気付き、父の戦友をインタビューしたり当時の資料などを調べ過去を知っていくというもの。過去の場面は大きく二つにわかれており、帰還兵の3人が帰国してからの英雄扱いされアメリカ国内を連れまわされる中で、時折フラッシュバックする形で硫黄島での激戦のシーンが挿入されていました。
ファシズム全体主義的国家に対抗するためとか、祖国の自由や民主主義を守るためとか、どんなにイデオロギーで正当化しようとも、そして闘いの様を戦勝側から見たとしても、敵の銃弾の嵐の中でそれでも前へ進めという軍の命令の理不尽さ・不条理さがこれでもかというくらい描かれていました。隣の戦友が敵の銃弾で打ち抜かれ息絶えていき敵の砲撃によって肉片と化していく中で、敵を同じ人間と思わずに銃撃・爆殺・刺殺・火炎放射していく世界。
そんな状況とは一変して、政治的に厭戦気分を覆すために、財政的に戦争を持続させるために、軍の存在感を国内に示すためなど様々な理由から「写真にたまたま写った」兵士たちが持ち上げられます。一人はその状況をなんとか利用しようとしますが、しかし残り二人は持ち上げられる自分たちはたまたま生き残っただけであり死んでいった戦友たちの方が勇敢であり英雄であったという思いを強く抱き、国内の歓迎に全く馴染めない状態となります。一人は拒否反応を示し、一人はただただ沈黙するしかない。大きな社会状況に翻弄される個人が描かれているわけですが、その前線の絶望的な状況と(アメリカ)国内での前線の実態を知らないが故の熱狂振りの落差が大変印象的でした。
「愛国」という言葉は、政治家が発する勇ましい主張の中にも、メディアが流す大衆の熱狂的な姿の中にも、決して存在しない。そうであるはずがない。生死を分った戦友たちの間に、兵士たちとその家族たちの間にこそ、誰にも理解されることもなく、存在するという、静かなしかし強烈な意識を持っている作品のように感じました。
来月に公開される日本側から描かれた『硫黄島からの手紙』もぜひ観てみようと思います。

なお「硫黄島」は映画公式サイトでは「"IWO JIMA"=いおう『じま』」になっていますが、正確には当時も現在も日本語読みは「いおう『とう』」らしいです。以下のサイトのコメント欄で知りました。本当に僕らは何も知らないですね。

その他参考になった感想を書いてると思ったサイト

追記:2006-12-13

映画『硫黄島からの手紙』を鑑賞してきました。