映画『嫌われ松子の一生』鑑賞

『嫌われ松子の一生』オフィシャル・ブック同名の山田宗樹の小説が原作。本作に関する宮台真司氏の文章を読んだのと、友人のよかったというオススメがあったので遅まきながら映画『嫌われ松子の一生』を渋谷パルコ内にあるシネクイントで観てきました。場所柄と監督が『下妻物語』の中島哲也監督ということもあり映像がポップでスタイリッシュかつストーリーのぶっ飛び感が期待されてか観客はほぼ10〜20代。
内容は英題の通り「Memories of Matsuko」。松子が死んだ時点から話が始まり、松子の甥が彼女の「不幸で」「悲惨な」人生を周囲の人から聞いていくというもの。しかしオフィシャルサイトの解説にも「不幸って何?」とあるように、「不幸に生きることは不幸か」「不幸な状況を濃密に生きることは果たして不幸か」というメッセージが込められていました。歌って踊って跳ねてのミュージカル仕立てなのでテンポがよく、めくるめく「不幸」の連続で一つひとつの「不幸」に没入・拘泥しないところもよかったように思います(ネット上で見回ってみたところ原作を読まれている方にはちょっと不評な感想が多かったように思いますが)。


当作品についての宮台氏による解説を読んだときも、今日映画を見終わったあとも、僕は小説家・隆慶一郎氏が『一夢庵風流記』で「傾奇者」について書いた以下の文書を思い出しました。

・・・私は彼等の中に正しく『日本書紀』に書かれた素戔嗚尊(すさのおのみこと)の後裔を見る。


『故(か)れ天上(あめ)に住む可からず、亦(また)葦原中国(あしはらなかつくに)に居る可からず。宜しく急(すみやか)に底根国(そこつねのくに)に適(い)ねといひて、乃ち共に逐降去(やらひや)りき』
 これが神々の素戔嗚尊に下した宣告である。


『時に霖(ながあめ)ふる。素戔嗚尊青草を結ひ束ねて、笠簑と為し、宿を衆神(かみがみ)に乞う。衆神の曰(まう)さく。汝は此れ躬(み)の行(わざ)濁惡(けがらわ)しくして逐謫(やらひせ)めらるる者なり。如何(いか)にぞ我に宿を乞うぞといひて、遂(つい)に同(とも)に距(ふせ)ぐ。是を以て風雨甚しと雖(いえど)も、留り休むことを得ず、辛苦(たしな)みつつ降りき』


 私はこの『辛苦みつつ降りき』という言葉が好きだ。学者はここに人間のために苦悩する神、堕ちた神の姿を見るが、私は単に一箇の真の男の姿を見る。それで満足である。『辛苦みつつ降』ることも出来ない奴が、何が男かと思う。そして数多くの『傾奇者』たちは、素戔嗚尊を知ると知らざるとに拘らず、揃って一言半句の苦情も云うことなく、霖の中を『辛苦みつつ降』っていった男たちだったように思う。

隆慶一郎氏はこの神話に「傾奇者」の「滅びの美意識」との共通性を見ているのですが、「それで満足である。」という言葉には宮台氏がこの映画について書いている以下の部分の感受性も含まれているように思います。

即ち「それでも日は昇る」「それでも人は生きている」的な開き直りと笑い飛ばし。そう。確かに人生は思い通り行かない。だから苦界や任侠に「身を落とす」。だが「身を落とす」ことそのものに「もののあわれ」がある。だから「浮かぶ瀬」などなくても良い。

映画では松子が「霖(ながあめ)の中を『辛苦みつつ降』っていった」物語が坦々と描かれていました。そこに「もののあわれ」があると感じましたし「浮かぶ瀬」など描かれない。それで良いのだと思います。荒川を眺めては故郷の川を思い出して涙していたという松子。甥が父(松子の弟)に対して曰く「この川は筑後川に似ているんだよ」。そして僕にとってはどこか大分川にも似ているように感じられたのでした。


女優・中谷美紀は体当たり演技をかましており、これは彼女の当たり役ではないでしょうか。そして劇中で中谷美紀から柴崎コウに「何か」が継承されたwようにも感じる作品でした。