映画『クラッシュ』鑑賞

id:yodaka:20060225さんがエントリーで紹介されていて、『ミリオンダラー・ベイビー』の制作・脚本の人(ポール・ハギス)が監督をしているということを知り、見に行きたくなったので映画の日というもあり行ってきました。


ロサンゼルスを舞台にした様々な事件の群像劇。アメリカにおける人種問題が物語の「触媒」の役割を果たしていますが、アメリカ社会に特化しているというよりも様々な面でグローバル化した現代社会に生きる者なら誰しも、程度の差はあれ、思い当たることがあるようなことが表現されていると思います。
登場人物たちの漠然とした不安や偏見に端を発する誤解やすれ違いが不全感や憎悪を生み、さらにそれを他者に向けてしまうことで次々と事件が起こります。もし何かがうまく噛み合っていれば、相互にわかりあえたかもしれないのに、それは起きなかったかもしれなかったのに、ということの連続。この映画ほど目に見える形での不全感・憎悪の連鎖・循環は現実ではありえないと思いますが、しかしその断片ならば各人に思い当たるところはいろいろとあるかもしれません。そしてもしかするとその「断片」が社会を大きく循環しているのかもしれません。
そして、その不毛な連鎖・循環を止めるのは、

  • 己を守るためではなく、己を捧げて行動するという事実の力
  • 自らの不全感を他者に向ける行為が、自らを損なうことになるとの自覚

となっているように思います。しかし、それは各人がポジティブに、オープン・マインドたれという個人に過剰な負担がかかりかねないメッセージというよりは「己の不全感を有形無形の暴力で他人へ向けても何も解決しない、『それ』は社会のどこかで止められなければならない」ということのように感じました。「誰が」「何が」『それ』を止めるに至るかという大問題があるように思います。アメリカではそれが「宗教」と「愛」ということなのでしょうか*1


【ちょっとだけネタばれ】:白人青年警官が最も「アメリカ」らしかったように思います。

*1:では僕らにはなにがあるのでしょうか