不安ベースな社会の行末

非常に参考になるエントリーです。先日の田中×浅田×宮台トーク「『不安』の時代から『自律』の時代へ」*1の内容にも関連していると思います。

くどいようだが「平等」は相互監視システムから生まれるのではない。「公共セクター」がそれを産み出さなかったら,産み出してくれるところは残念ながらほかにない。公共セクターが腐敗しているなら,その内部にメスを入れるべきで,それをせずにその全体を縮小すればよいというものではない。

そして「公共」は必ずしも「官」ならず。内部にメスを入れるとともに、外部に「公共」を創出することも必要になっているのかも。