仲正昌樹×北田暁大トークセッション「わかりやすいことは、いいことなのか?―メディア・政治・ロマン主義―」参加
三省堂本店で開催された双風舎*1主催の仲正昌樹×北田暁大トークセッション「わかりやすいことは、いいことなのか?―メディア・政治・ロマン主義―」に参加して参りました。
内容は、前半は仲正さんの著作『デリダの遺言』を、後半は仲正さんが参加された雑誌・諸君!12月号の小谷野敦×仲正昌樹×八木秀次鼎談「この世の嫌われモノをどうする! タバコ・フェミニスト・監視カメラ・人権擁護法案…」を起点としての「左派をしっかりさせるための」左派批判といった感じでした。
以下に、語られたすべてではありませんが印象に残ったことをまとめてみました
- エクリチュール(書かれた言葉)は、常に、すでに「死んだ言葉」であって、それと「話し言葉」との対応関係を求めていく思考をデリダは「音声中心主義」として批判した。
- 「死んだ言葉」と「生きた言葉」の一致を求めていくような欲望はなかなか潰えず、現代でも違う文脈で何度も回帰して、「生き生き」していなければならない、理論と実践を一致させなければならない、という強迫的な観念が再生産されている。
- 左翼の疎外論的で本質主義的な問題設定*2は自己目的化されていく危険性が常にある。被害者・正義の立場に立っているという想いが暴走するメカニズムは全体主義とあまり変わらない。思想の実践の場に潜むロマン主義的な危険性・陥穽を考慮しなければならない。
- 「生き生き」が紋切り型になっていくのが問題。紋切り型の反権力的なことを言っただけで盛り上がっている。「わかりやすく語れ」という言葉に負けて紋切り型に語るのではなくある程度の複雑さに踏みとどまるべき。
- わかりやすく語るということは二項対立を再生産していくことになる。自分の立場が簡単に割り切れるものではないという立場を堅持するのが難しくなっている。そういう状況の中で左派的言説が単純化して迷走しているのではないか。
- 左翼は自分が批判的・反権力的だから知的であるという錯覚がある。また大衆に近い言葉が最も真理に近い言葉であるという幻想を抱きがち。ラディカルであることを競ったりラディカルに立ち向かうことが無条件に善であると勘違いしがち。
雑誌・諸君!12月号の鼎談に関しては、仲正さんは左派の現状を憂え(?)頽落した姿に我慢ならないがゆえに左派批判を行っておられると思うのですが、その態度が「敵の敵は味方」とばかりに(いわゆる)右派系の人々に誤解されてしまったのが鼎談のキャスティングなのかなと―トークの中でも「陰謀史観はいけません」とのことだったのですが―思ったりもしました(まあこんな単純ベタな話ではないと思いますが)。
※要注:以上のものは私が見聞きしてきたことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。
仲正さんの『デリダの遺言』は僕も読みましたが、「生き生き」思想の歴史や現在の受容のされ方が詳細に書かれており、とても勉強になりかつ自戒という意味で己を省みさせるよい本だと思います。おすすめです。
―――【追記1:2005-11-14】―――――――
id:seijotcpさん経由:id:pmblさんがすばらしいイベントの感想を書かれています。
- 言ノ葉 2005-11-13 仲正・北田対談
http://d.hatena.ne.jp/pmbl/20051113
さらに言の葉(id:pmbl)さん経由
- 内田樹の研究室: 唐茄子屋メディア論
http://blog.tatsuru.com/archives/001268.php
人間知性の信頼性は「おのれの誤りを他人に指摘されるより前に発見すること」に優先的にリソースを注ぐということ、ただそれだけによって担保されている。
言の葉さんが指摘されてますが、これは仲正さんの姿勢そのものと言えると僕も感じました。
―――【追記2:2005-11-15】―――――――
id:seijotcpさん経由:id:hazama-hazamaさんが魂の仲正擁護*3の感想を書かれています。
- 過下郎日記 2005-11-14 仲正昌樹×北田暁大トークセッション
http://d.hatena.ne.jp/hazama-hazama/20051114#p2
―――【追記3:2005-11-15】―――――――
12月に予定されていた双風舎主催の仲正昌樹氏×北田暁大氏のトークセッションの第3回が中止となるようです。僕としては学ぶところが多い連続トークセッションでしたので大変残念です。
双風舎の谷川さんが運営されているblog:双風亭日乗に仲正さん・北田さんがステートメントを寄せられています。
北田さんがコメントされている「『語り口』批判そのものが目的化してしまうと、サヨク的『いきいき』ロマン主義以上にやっかいな、シニカルなロマン主義に帰着してしまう」という点は大いに首肯するとともに、僕も反省すべき点だと思います。
―――【追記4:2005-11-17】―――――――
id:Pyotr1840さんが一連の仲正×北田トークセッションの「個人的」見解を表明されています。僕も当日参加していてあまりいい意味でなくドキッとしたことが1点あったのですが、それについても触れられていました。
- ピョートル4世の「孫の手」雑評
- 内田樹氏・仲正昌樹氏の「正義」批判に寄せて (「言論の無自覚」の問題について)
http://d.hatena.ne.jp/Pyotr1840/20051117/1132178341 - 北田氏・仲正氏トークセッション打ち切りへの余計な感想 (「東浩紀・北田暁大は『学問オタク』か?」特別篇)
http://d.hatena.ne.jp/Pyotr1840/20051117/1132178342
- 内田樹氏・仲正昌樹氏の「正義」批判に寄せて (「言論の無自覚」の問題について)
―――【追記5:2005-11-17】―――――――
仲正昌樹(id:nakamasamasaki) 様
当エントリ【追記3:2005-11-15】にて気分を害された点がございましたら陳謝致したく存じ上げます。これは「一方的に北田先生の発言のみに賛同する」という意味では決してございません。トークセッション中止が仲正先生からではなく北田先生より提起されたことを記述したかったのですが、それは仲正先生が言われのない中傷を受けてよいという意味ではございません。仲正先生のお立場への配慮が欠けてしまいましたこと本当に大変申し訳ございません。仲正先生がご迷惑を被っておられ、それらを主張されていることは全くもって正当であると思っております。
―――【追記6:2005-11-17】―――――――
- 過下郎日記 - 待ってください仲正先生!!
http://d.hatena.ne.jp/hazama-hazama/20051117#p1
―――【追記7:2005-11-18】―――――――
*1:http://homepage3.nifty.com/sofusha/
*2:人間の本来的な姿を暗黙に措定してそこから疎外されている、現在人々を苦しめ「生き生き」できないのは何かがそれを疎外しているからだ
*3:ネタっぽくなってしまいましたが気を悪くさせてしまいましたらすみません>>id:hazama-hazamaさん