3/30対バーレーン戦のみどころ

またまたサッカーのことを書きます。興味のない方は申し訳ないです。


さて以前からヤマはここだと言い続けてきた対バーレーン戦。こんなニュースが入ってきたのでコメント。

 先発組は2トップに鈴木、高原、トップ下に中村を置き、中田英が右ボランチに入った。ジーコ監督は「イラン戦は田中が(出場停止で)いなかったので4バックにしただけ」と話し、システム再変更の理由が敗戦によるものでないことを強調。出場停止の小野に代わる形で守備的な位置に入る中田英については、「中村との縦の関係で攻撃的な力を見せてほしい」と期待を込めた。

小野伸二選手が出場停止+これまで結果が出ているやり慣れた3バックに戻すため、中田英寿選手が3-5-2システムのボランチ(守備的MF)に入ることはよいことだと考えております。それについては以前から当サイトでも語ってきた通り。以下に再度記します。

 中田選手は知名度と比べると評価の難しい選手だ。イタリアで言う「量の中に質を見出す選手」つまり瞬間的な仕事よりも90分全体のパフォーマンスがいい選手だし、意外性のある技巧的なパスよりも、確実で合理的なパスを得意とする選手だ。だから多くの期待に反して中田選手がチームに加わったからといって劇的な変化を起こすというよりは、チームの土台と言ったほうがいいタイプの選手だ。これは中田選手が活躍するイタリアの多くの監督が述べている。中田選手に一番いいポジションは、本人希望のトップ下ではなく、3バック、4バックを問わず3ボランチで真ん中に守備専門の選手をおいた場合の左右どちらかの位置が最も輝くだろうと評価されている。サイドアタッカーでもなく中盤の守備専門でもないこのポジションをイタリアでは「メッザーラ“mezzala”」と言うらしい。中盤で少ないタッチでボールを確実にさばいたり、しっかりとボールをキープする役割が求められるようだ。中田選手の特性はこのポジションが一番合っているという。

僕は最近中田英寿選手がセリエAなどで結果が出ないのは、本人の希望のポジションと適正のあるポジションがずれているからだと思う。中田英寿選手は、本人の希望に反して、トップ下タイプの選手ではない、というのがイタリアの多くの監督がみるところであり、紹介しようと思って出していなかった昨年9月に中田選手がフィオレンティーナに移籍した際の、元フィオレンティーナの英雄・バティストゥータ選手(つい最近引退)の次のコメントにも現れていると思う。

 元アルゼンチン代表FWでカタール・リーグで活躍するバティストゥータが、8日付コリエレ・デロ・スポルト紙のインタビューで「フィオレンティーナが今回獲得した中で最も重要な選手が中田」と日本人司令塔の活躍に太鼓判を押した。モンドニコ監督は、かつてチームで活躍したポルトガル代表MFルイコスタのように中田をチームの中心に据える構想を持っている。フィオレンティーナでルイコスタと、そしてローマでは中田とプレーしたバティストゥータは「タイプは違うが2人とも最高の選手」とエールを送った。
(強調部分はkawakitaによるもの)

トップ下タイプのルイコスタ選手に対して、バティストゥータ選手は中田選手はルイコスタ選手と「タイプが違う」と言っております。その違いは前述の通り。今回前述の二つの理由(小野伸二選手出場停止、3バック)のため、怪我の功名的に中田英寿選手が一つ後ろのポジションに入ることは、よい内容のサッカーができるようになるのではないかと思います(よい結果が出る、とは言えないのがサッカーですが)。


ただ、4-4-2とか3-5-2とかシステムは関係ないと言いたいところですが、ヨーロッパの監督が率いるイラン、バーレーンが採用する4-2-3-1システムは3-5-2(3-4-1-2)システム殺しのシステムです。4-2-3-1の「3」の両サイドで3-5-2の「5」の両サイドを下げさせて5-3-2にしてしまう可能性を秘めております。システムだけで試合が決まるとは限りませんが、そういう意図があるということはジーコは知っているはずと願いたい・・・。

 我々の身近で、3-4-1-2といえば、日本代表になる。次戦の相手はイラン。布陣は4-2-3-1だ。チャンピオンズリーグの歴史は、イラン有利を予想する。戦力が互角ならば、噛み合わせの良さでイランが優勢。4-3-3の台頭を欧州で確認した後だけに、いっそう不安になる。両サイドを攻められ、5バック状態になり、攻撃はロングボールが主体。しかし、バックラインとトップが離れすぎているので、必然FWへのサポートは薄い。シェフチェンコエトーがいればそれでも何とかしてくれそうだが……。

 チャンピオンズリーグの8強の中に「3-4-1-2」は1つも存在しない。それはなぜか。日本でチャンピオンズリーグを最も見る必要がある人物は、ジーコ監督であると僕は確信する。