『負け犬の遠吠え』を今さらながら読む

負け犬の遠吠え
いまさらなのだけど酒井順子著『負け犬の遠吠え』を読む。僕が購入したわけではなく、先日大分に帰省した際に妹が持っていてそれを譲ってもらって帰ってきた。妹がこの本を購入した理由は、おそらく昼間のワイドショーで話題になっていたからだろう(妹は看護士で勤務シフトの関係で昼間のワイドショーを見ることが可能とのこと)。僕にこの本を簡単に譲ってくれたのもよくわかる。彼女にはピンとこなかったからだろう。なぜなら彼女はどちらかと言えば「勝ち犬」メンタリティの持ち主だ。それよりもこの本を譲ってもらって読んで面白いと感じてしまう兄の方が見事なまでの「負け犬」メンタリティの持ち主だ。『負け犬の遠吠え』の「負け犬」さんは「近代」が提唱する「自我」や「自己実現」をフィクションであるにもかかわらず邁進してしまったようでもあり、散華の思想・刹那の思想の体現者でもあるようであり、そのメンタリティにはけっこう共感するところがあった。僕も「負け犬」道まっしぐら。ははははははははは・・・。