内田樹氏のBlogで人類学の「女の交換」の意味を知る

親族の基本構造
人類学をちょっとでも学んだ人なら聞いたことがあるはずのレヴィ=ストロースの『親族の基本構造』における「女の交換」。未開社会の婚姻制度を交換のシステムとして把握することで出てきた考え方であるけれども、確かにフェミニストの方々が目くじらを立てそうな「女の交換」なる言葉。なぜ「女の交換」であって「男の交換」ではないのだろう。内田氏は明確にそれについて答えてくれている。

だって、「男の交換」では親族は形成されないからである。
「男の交換」とは「奴隷の交換」であり「労働力の交換」であり、所詮は経済活動である。
男はリプロダクションのリソースではないからだ。
当然でしょ?
次世代を再生産するためには、相当規模の社会集団でも、男は「種オス」が一人いれば足りる。
男の交換価値は「奴隷」としてのそれに限定されており、男には人類学的な意味での性的価値はないのである。
だから男なんかいくら交換しても親族は形成されない。
「女として生きる」というのは、この人間的コミュニケーションの場で、自分を「財貨・サービスの提供者」としてよりむしろ「親族形成の主体」として立ち上げるということである。

男は経済活動で入替え可能な「労働力として交換」されるのみ。ははははははははは・・・。