拉致被害者家族への批判について

やはり出てきた拉致被害者家族側への批判について言及をしようと思う。批判の内容は「5人の子供を連れて帰った首相への感謝がない」というもの。

拉致被害者家族会」および「拉致被害者救う会」は拉致の疑惑が存在する限り目的を達することはなく、目的を達するまでは永久に問題解決のための行動を政府に求め、その行動が十分でなければ異議申し立てをするだろう。政府が国民の身体・財産を守る義務を負う以上、そう主張する権利はある。外交の複雑な問題はすべてが一気に解決できない以上、異議申し立てを続けることで漸進的に目的を達していくしかない。そういう意味で異議申し立ては正当であると思う。

今回小泉氏が私的活動で、費用も全部自分で賄い、親切心・義侠心から家族を連れ戻すため一私人としてキム・ジョン・イルと会談して、拉致被害者の家族を連れて帰ってきたのであれば、まさに「感謝」すべきだろう。第三者拉致被害者家族側へ「感謝せよ」と道徳的に要求できるのは、「義務がないのに何か貢献してくれた者」に対して感謝がない場合だと思う。

しかしパブリック・サーバント(の長たる総理大臣職)の行為は、憲法または何らかの法律に規定された国民への義務行為だ。今回であれば「国民の生命・財産を守るため」の外交交渉だ。それはその職務につく者の義務であり、どんなに親切心・義侠心からの行為であろうと、国民に対して感謝を要求すべきものではない(まあ小泉首相が感謝を要求しているわけではないけど)。付け加えれば、パブリック・サーバントはいま記述してきたような私人には行われ得ない(非営利的な・公共的な)行為を職務として果たすのでリスペクトされうるのだと思う。なぜ日本では国家元首の職にある者の行為を私人の行為のようにみなしてしまうのだろうか。

これまでのイラク人質事件、拉致問題などの一連の反応を見ていると、もう一度ちゃんと近代国家における政府と国民の関係とはどういうものなのか知っておかなければならない気がしてならない。

Yahooニュース
20040525:<拉致被害者>「救う会」に批判の声 会見での発言受け
20040525:救う会あてに千件以上のメールや電話、3分の2は批判

数学屋のメガネ
20040526:小泉首相訪朝の評価
20040527:小泉首相訪朝の影響