映画『チルソクの夏』鑑賞

昨日から東京で劇場公開が開始された映画『チルソクの夏』(03、佐々部清監督)を見てきた。
長くなるが前置きとして次のものを紹介したい。僕は2000年刊行の宮台真司氏の『援交から革命へ―多面的解説集』の中に収録されている氷室冴子海がきこえる』文庫版(徳間文庫)に寄せた解説「なぜ海が聞こえなくなったのか」が好きだ。

この中で宮台真司氏は現代の少女漫画において恋愛物語の成立が難しくなった理由を、

  1. 昔よりもいろんなものが自由になり境界が消えたせいでロマンチシズムが成り立つための差異が消えてしまったこと
  2. ロマンチシズムを成り立たせるために不完全情報(勘違い)状態が必要であったが情報化社会の進展から何をどうすればどうなるかということが予測可能になり勘違いが消えた

という2点を挙げる。

それにもかかわらず80年代後半から90年代前半に連載された氷室冴子海がきこえる』が少女漫画として成立した要因を、「不自由(つまり「境界」と「不完全情報」)」を作り出す独自の仕掛けが仕込まれていると分析する。3つの仕掛けとして

  1. 地方を舞台にしていること
  2. 回想語りをもとにしていること
  3. 男の子の視線を使っていること

を挙げている。この仕掛けが「不自由」を作り出し物語を成立させるとする。ここからは本編の引用。

 私たちは、あれはダメ・これはダメという囲いから解き放たれ、同性や異性についてふんだんな情報を得るようになりました。つまり都市化によって自由になりました。でも気がついてみると、自由になることで不自由になっているような気がします。ほのかな想いや、甘酸っぱい気持ちや、じりじり焦げるような熱いロマンが、遠ざかっていくのです。
 氷室冴子さんの『海がきこえる』の魅力は、私たちが不自由だったからこそ自由だった時代を、そう、海がきこえた時代を思い出させてくれるところにあります。多くの読者に、自分にも海がきこえたはずなのに、と振り返らさせてくれるところにあります。そうやって振り返ると、何かチクチクと痛くなるようなリグレットが胸を覆い、涙が出てくるのです。


チルソクの夏』の舞台は1977年の下関と戒厳令下の韓国の釜山。77年7月に釜山で開催された陸上競技の親善試合で下関の日本人女子高生が韓国の男子高生と恋に落ちる。しかし少女は試合終了後日本に帰るため、1年後の7月に開催される次回の下関での親善試合で再開する約束をする。そんな思い出を2003年に下関での陸上競技親善大会を主催するにまで至った25年後の主人公の女性が回想するところから映画が始まる。

この物語は、冒頭に挙げた恋愛物語の成立の困難に対しては①日韓という国籍、交際を快く思わない双方の両親や世間という形で「境界」を、②会ったのは1日だけで次に会えるのは1年後、日本語とハングル語、文通でのコミュニケーション(当然のことながら携帯・メールはない)という形で「不完全情報」を設定しており、また先に挙げた『海がきこえる』の3つの仕掛け―①地方が舞台、②回想形式、③「男の子の視線」の代わりに「25年前の時代だったこと(女の子も不自由)」が踏まえられており、見事に「不自由」が成立している。だから主人公たちは「海がきこえる」し、再会を約束した「七夕=チルソク」を待望することができる。

このような物語に僕がひかれるのは、それが僕の個人史とも重なってくるからだ。90年代前半に地方で高校生として過ごし、当然のことながら不完全情報で、鈍感で、何もわかっていなかったという「不自由」であったがゆえに、忘れることのできない経験を経た僕を思い出させてくれる。今の僕は当時の僕と比べて大いに自由になったし、いろんなことがわかるようになった(多分(笑))。でも自由であるがゆえに浅知恵がついたがゆえに強烈さ・濃密さを伴う経験から遠ざかってしまった気がする。だからこそ同じような不自由さで描かれている主人公たちの想いの強さや体験の濃密さを見て、まぶしく、うらやましく思えるのだ。まるで過去の自分を見ているように。とは言っても決して過去を美化したいわけではない、昔はよかったと言いたいわけではない、むしろ「不自由」すぎて、何もわかってなさすぎて、最悪だったかもしれない。でもそこには体験の濃密さが確かに存在したのだ。

開始ぎりぎりに行ったため席が一番前だったのだけど、映画終了後に館内を見回してみると号泣してすぐに立ち上がれなくなっている女子多数。

公式サイト:『チルソクの夏
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