イラク人質事件:人質事件・迷惑論について

やはり基本的な憲法の問題を考える必要があると思う。憲法とは、国民の主権を国家機構(=統治権力)に委譲し、国民の生命と財産の保全を中心として、統治権力に必要な実務を遂行させる上での、国家権力と国民の間の「契約」である。だから物見遊山であろうと人道支援であろうと売名行為であろうと営利目的であろうと自己犠牲であろうと、外国で日本国籍を有する者が人質になったのであれば、日本政府は救出活動を行わなければならない。それが国民と統治権力が結んだ(ことになっている)「契約(=憲法)」の一部だ。
いわゆる自由な民主的国家であれば、政府が退避勧告を出そうとも、先に挙げた理由(物見遊山・人道支援・売名行為・営利目的など)で国民が危険な地域に赴く可能性がある。国家が国民にできるのは勧告までで移動の自由を妨げることは出来ない(まさに自己責任で行ってもかまわないのだ)。だから理由がどうあれ、少人数であれ、イラクに行く日本人は確実に存在するだろう。その行為を否定することはできないと僕は思う。「イラクが危険だと退避勧告が出ているにもかかわらず、どういう目的であれイラク渡航し、人質となり、世間を騒がせ政府に迷惑をかけ、あまつさえイラクにまた行きたいと言っている、けしからん」という論調があるが、どうも僕は違和感を感じてならない。危険と言われ状況が刻々と推移するイラクにおける彼等の行動の判断が妥当だったかどうかはこれから問われるにしても、彼等が行ったこと自体は個人の自由であり、それが人道支援目的であるならば批判されるいわれはない、と思う。
政府が救出活動を行うのは先に述べたとおり契約の履行であり、国民はその契約の履行を今回見届けることが出来たと思う。人質解放の条件として(すでに出してしまった)自衛隊の徹底が要求されたが、それには微動だにしなかったのは評価できると思う。現状の条件下では、とりあえず結果は最上だったように思う。だが先にも述べたとおり、イラクに自己責任で赴く国民はこれからも少数ながら確実に存在するだろう。であるならばここからが考えるポイントだ。
日本人が人質として有効なのはアメリカの同盟国だからだ。さらに言うならアメリカの要求をなし崩し的にほとんど聞いてしまい軍隊まで送ってしまった国だからだ。そんな国の国民がイラクに来ていればスパイと思われる可能性もあるし、敵意の標的にもなる可能性がある。仮に日本がアメリカの要求に国際的な合理性がない限り従わない中立的な国と見なされていれば日本人を人質にとることは有効だろうか?少なくともイラクに軍隊を送った国と見なされていなければ日本人を人質にとる可能性は低いのではないだろうか?とするならば、僕らはやはり政府の平時の政策・決断に対して関心を持つべきだし、対米追従的な(少なくともそう見える)政府の政策の再考をせまらねばならない。政府に迷惑がかかるから行くなという言説は、対米追従政策の継続が前提であり(そうであれば市民・民間人の活動は迷惑極まりないのだろう)、そもそものボタンのかけ違いを隠蔽している気がする。