『黄泉がえり』鑑賞

水曜日にTBSで放送された『黄泉がえり』(2003)のビデオ録画を見た。『黄泉がえり』は塩田明彦監督の作品で、劇場公開当時も注目していたのだけれど、主演が草ナギ剛ということで、アイドルはある範囲でしか表現が許されないので、見ていなかった(いろんなところの話でただのアイドル映画ではない、とは聞いていたのだけれど)。レンタルが開始されてからもなぜかビデオのみでDVDがないという理由だけで借りてなかったのだけれど、劇場公開から一年あまりでとうとうテレビ放送となったのでビデオ録画を見ることにした。


黄泉がえり』はTBS関係の映画だったので、昨年の劇場公開前にTBSの深夜映画枠で塩田明彦監督の作品『月光の囁き』(1999)が放送された。僕はそれを偶然にも見てしまった。深夜で何気なく見始めたのだけど全部見た。はっきり言って塩田明彦監督の作品はヤバい。有害映画監督である(笑)。彼の作品を見るとその凄さで日常生活に戻れなくなってしまう。僕は『月光の囁き』のラスト近くのクライマックスの森の中のシーンで少年が少女に言われたことに対して何を言うか、少年が何をするかをはっきり予測できた。ありきたりだから予測できたのではない。僕なら明らかにそうするだろうからはっきりわかった(僕の日常生活の名誉のために言っておくが(笑)、必ずしも僕=「主人公の少年」ということを意味するのではない)。そしてあのラストシーン。スゴい。思い出すだけでもスゴすぎる。見ていない方はぜひ見ていただきたい。塩田監督は日常のコミュニケーションの範囲の外の部分を表現する。それは表現(=映画)にスゴみを帯びさせる。
黄泉がえり』は前述したように草ナギ剛・竹内結子を主演、その他有名俳優をキャストとしたことで、ある程度普通に見れる(=普通に理解可能な、納得できる、共感できる)ようなストーリーになっているが、塩田テイストはしっかり組み込まれていた。別にマイナー主義を賞賛するわけではないけど、塩田監督の作品としては大衆ウケする内容だったように思う(それは大切なことだ)。しかし塩田監督のスゴさは「社会の外」を表現できることだとあえて言っておきたい。なんだか『黄泉がえり』の話よりも『月光の囁き』の話になってしまったけど、僕としては今後も要注目の映画監督である。