That's Japan 連続シンポジウム・教育真論3

今回のThat's Japanのシンポジウム「教育真論3」は、前回までで教育についてはおおよそのことは語りつくしたということで、教育問題と言えば話が面白いのが元数学教師で現漫画家・江川達也ということで、現在日露戦争物語を連載中の江川氏を呼んで、歴史教育について語られるはずだった。「はずだった」というのは、あまりにテーマが広すぎていろりろなことに話が展開したため、とくに歴史教育のみが語られたわけではなかったからだ。高岡氏が司会で、江川達也宮台真司トークが中心だった。以下に、僕が興味深かったことを書いてみたいと思う。

司馬史観江川達也日露戦争物語

江川氏はそもそもなぜ「日露戦争物語」を書こうとしたか?という質問から話がスタート。江川氏は元数学教師だけあって教育の問題だと言っていた。学生時代から数学以外つじつまが合わない、特に国語と社会(歴史)はなぜ面白くなく、つじつまが合わないのか?と思っていたらしい。その理由を考えてみると、結論が最初にあってそれを証明するために論を展開しているからだと思い、その歴史教育の面白くなさを解明しようと思いからいろいろ調べてみると漫画を書こうということになった、ということたしい。
そこで司会の高岡氏が司馬遼太郎のちょっとした紹介をしてくれた。司馬は本土決戦に備えているときに、上官から「戦車の前に国民がいた場合、国民をなぎ倒して戦いに行け」と言われた、とのこと。ここで国を守るとはどういうことなのだろう、という疑問がわき、彼の結論としては、昭和軍人はクダラナイ、昔はスバラシイ人がたくさんいた、スバラシイヒーローがいたのではないか、という図式が成立し、司馬の歴史ヒーロー史観が成立したとのこと。高岡氏は司馬遼太郎に対しては基本的に批判的だった。江川氏はこの司馬(「坂の上の雲」)の日露戦争史観を変えたいと思ったので現在も漫画を書いている、とも言っていた。高岡氏の司馬良太郎のちょっと(批判的な)紹介はさらに進む。司馬は「現代」を書けなかった、日露までしか書けなかった。大正・昭和は悲しくて書けなかった、と述懐していたらしい。それが明治のヒーロー史観になったのは前述の通り。
ここでちょっと別の角度から宮台氏が発言。現在、ゼミ生にNHKアーカイブス(日曜日深夜にも放送中、40・50・60・70年代のNHK特集などの映像)を見せているらしく、学生に見せてみて感じることとして、「小説や学問でも、明治・大正・昭和の作品・論文はあるが時代の文脈を知って読む人・見る人と知らないで読む人・見る人では、映像から得る情報量が格段に違う」との発言をしていた。そしてこの「過去の文脈を知らない」世代が増大した結果。現代ではヒーローをベタに読むようになってしまった、とのこと。また松本健一氏の「1964年革命説」を紹介。東京オリンピックのあった64年まえまでは国民の歴史上のヒーローは西郷隆盛だったが、その後は坂本竜馬司馬史観ヒーロー)になったとのこと。64年より前は日本人に弱者意識・アジアの一員という意識、西洋コンプレックス、白人コンプレックスが存在したが、64年を境に、世界に伍した、西洋と東洋という区別の意識が薄くなった、というのがその説の主張のようだ。また現実を見ても日米安全保障条約も64年までは、アメリカからの理不尽な要求(出兵)から国民を守るために、GHQの定めた憲法第九条を盾にしていた、アメリカに日本を守らせるという意識、経済復興を果たした暁には一国独立という意識(これが保守本流)があったが、岸内閣の安保改定後、アメリカが守ってくれる、憲法第九条さえ守っていれば安全、という意識になったとのこと。見事に64年革命説とパラレルになっている。江川氏は64年の前と後の違いは貧乏人と小金持ち、創業者と二代目の違いに相当する。創業者は貧乏な中から自分の経験で立身出世、二代目はその遺産があるものの独自の経験が不足する、小金持ちになると問題意識が希薄になる、とわかりやすく説明していた。
さらに高岡氏の付け加えで、戦後に立身出世を担ったのは非政治化された中間層の人々で、司馬史観を好んで読んだのはこの層の人々だそうだ。また明治期に国を支えたのも非政治化された中間層の人々(元士族)であり、この層が教育勅語の適用範囲だったらしい。司馬の作品には「坂の上の雲」の秋山兄弟に代表される非政治化されたヒーロー(元士族)が登場。つまり司馬の明治期の(非政治化された)青年像を、戦後の(非政治化された)中間層に向けて作品として提供した、と考えられるようだ(だからヒーロー物語にならざるを得ない)。また高岡氏は「青年の誕生」という概念を紹介。国民国家の創世記に「青年」概念が誕生する(日欧問わず近代国民国家に共通のようだ)という社会学の論説を紹介した。「青年」とは、子供から大人になる過程の状態のことで、精神の過程でどう社会にコミットするかという問題を抱える。子供は社会にコミットすることを考えなくてすむし、大人はすでに社会にコミットしているので考えなくて済むが、しかし青年はその狭間で社会にどうコミットするか悩むという分類だ。これが国民国家の成立および戦争の歴史と関わってくる、ということから次の話題へ進む

国家と国民の概念

高岡氏は国民国家は戦争と表裏一体であると主張。フランス革命以降、国民軍が誕生すると自国のために闘うのでそれまでの傭兵軍より強いというのは近代論の常識だが、宮台氏は日本に関してはちょっと別の見方をした。それは「国民軍は市民軍とパラレル」ということ。国民皆兵または徴兵制で国民軍はできるわけだが、これは国民の参加意欲、国家を操縦する意欲の現われであり、アホな指導者が出てきた場合、国民軍は市民革命軍になる可能性も秘めている、とのこと。日本では国民国家の体裁はとっていたが、国家を操縦する意識は希薄であり、日本は天皇を中心としたひとつの家族というような共同体意識で国民化されたため、市民としての政府を操縦する、チェックするという概念はいまだに育っていないとのことだった。
ここでその議論をさらに深めるため、北一輝「国民の天皇」を紹介。北は「統治権力としての天皇」といっていたらしい。つまり天皇は機関であり(明治インテリは声に出さずともみな天皇機関説)、革命の対象(アホであれば取り替える)という考え方をしていたようだ。これは国家と国民の分離(国家は機関であり、そこに住む人々は共同体)の意識であり、「国民」とは議会(政治)への参加意欲を持った者たちを言う、という考えだ。ここから考えると、国のために戦うとはどういう意味を持つのか?国民を守るために戦うのか、国家を守るために戦うのか、という問いに変換される。「一億層玉砕」という概念が以前あったが、これは国民は全員死んでも守られる国体があるという意識。ここには国家と国民の混同がある、というのが宮台氏の主張であり、北一輝の考えを展開したものだ。これは司馬・丸山真男の問題意識のきっかけになったものでもあるとのことだ。「国民」には政治への参加意欲、政府へのチェック&バランスの意識をもち、国家を操縦する意識が必要だが、日本には未だに存在しない、というのがもっぱらの現状のようだ。天皇との関連で言えば、民主制と(立憲)君主制は両立可能であり、民主制の対概念は独裁制という考え方も重要だ。民主制(権力)が定めたことに君主が権威を与えるという構造が可能。しかしこれも国家と国民を分離して考える発想があってこそ、とのこと。江川氏はさらにつけくわえで、ここでも日本の明治期(司馬の描く時代)と昭和期の違いを「創業者と二代目」でパラフレーズできると説明していた。創業者はリアリズムで行動するが、二代目は妄想を信じて行動してしまい会社をつぶす。江川氏は日本人は妄想を信じやすい言語体系の中に生きているのではないか、とも言っていた。大正期はちょうど貧乏人から小金持ちに転換した時代で、社稷国家などの共同体国家思想、農本的国家思想などが登場したらしく、いろいろな発想が出てきていろいろな国家としての可能性が構想されていたようだ。しかし恐慌と共にひとつひとつつぶれて妄想的な最低なものだけが残った、というのが江川氏の認識のようだ。

現代における青年・大人

宮台氏の「青年」の認識の説明が続く。青年期は近代国家が複雑になり、単純な通過儀礼を適用できなくなり、長い時間(10年以上)をかけて人材育成・選別を行うため誕生した。青年には、大人のように権益・利害にまみれていないが子供でもないので社会参加もするということで「純粋」というイメージが適用された。また55年以降から青年には反抗・無軌道・暴力といったイメージになったとのこと。江川氏は青年概念の付け加えで、自立するために悩む期間であり、純粋だが妄想的である、と言っていた。ここから「現実」と「妄想」がキーワードになる。宮台氏は、しかし現代では青年を脱することは非常に困難といえる、果たして現在において自分は自立しており大人だと言える条件などあるのか?と主張。宮台真司「終わりなき日常を生きろ」の論旨では、オウム的なものとは悩める青年の変形型、流動性に耐えられない存在、全体性を志向する。ブルセラ的なものとは青年的なものから自由な存在、流動性に耐えられる存在と定義していた。しかしブルセラ的なものは96年以降は退潮、コミュニケーションの流動性に身を任せることに実りがなくなってきている、とのこと。これをさらに理解するために、戦後の青年の歴史は戦後の転換点という主張をしていた。この図式はとても面白い。①45年〜(64年)〜72年まで:青年=純粋、青春 ②72年〜95年:(豊かになり一億層中流意識なので)人との差異を求める、またはオウム的なもの ③95年〜:自由だが脱落する恐怖をもつ(孤立恐怖) ④さらに1999年シアトルWTO会議および9.11以降は外部・フロンティアが完全に消えた時代であり、外部・フロンティアがあった時代はフロンティアから富を持ってくる大人が素晴らしかったが、外部・フロンティアが消えると、持ってきた富はどこから奪ってきたんだ、という疑念が生まれる。これが「大人」の失墜となっているとのこと。
この辺からは宮台氏の独壇場となっていたが、こういう状態をどう考えるかという論考も面白い。例として論じられたのがブッシュがアメリカ大統領になったことの功罪。悪かったこととして、ゴアが大統領になっていれば、9.11もイラク攻撃も起こらなかった可能性はある、ということがある。逆によかったこととして、ブッシュおよび政権内の人々の稚拙な振る舞いのおかげでアメリカの本質(ユニラテラリズム、環境問題無視)などが人々にはっきり意識されるようになった、ということがあるようだ。しかしこれのおかげで、どうせ大義はないのだから、確信犯的になんでもやってしまえ、というネオコン的発想が、いたるところにはびこるが否定するのがなかなか難しい、と言っていた。
ではこれに対してどう対抗するか、そこで出たのが「ロマンチシズム」。果たして「成就」はしなければならないのか、と言い換えていた。ロマンチシズムとは不可能性への接近であり、妄想と現実を別けて考えるようだ。不可能性の思想は現実の断念(キリスト教に近い考え方か?)であると言っていた。これに対して、日本のロマンチシズムは現実に成就できるかが問題で、妄想と現実が一致している。だから、現実はこうなのだからああだこうだいっても仕方がない、自己利益を最大化すべし、というのが日本で言う「大人」となってしむ。また、大人の現実は穢れているので参加する意味はない、もっと純粋に生きたい、現実でもそうあるべし、というのがこれまでの「青年」像だった。これに宮台氏のロマンチシズムをパラフレーズしてみるとこうなるだろうか。「現実に自分は社会での権益や利害に塗れて穢れてしまっているが、そうではありたくないと思っている、世の中の構造に不満を持ってもいるし変えたいと思ってもいる、それは不可能な妄想で現実には成就できないかもしれないが、だからといって現実に居直って確信犯的に、自己利益だけ考えて生きたくない」。

僕はこの考えは非常に共感できるし、常に高ありたいと願う。話の内容は多岐に渡ったが、とても面白いシンポジウムだった。連続シンポジウム・教育真論は3回分が今後本になるようだ。それも注目したい。