「麻原裁判」講演・公開討論会(第3回)参加

四ツ谷の弘済会館で開催された「麻原裁判」講演・公開討論会(第3回)に行って参りました。主催は麻原裁判控訴審弁護人の松井武弁護士と松下明夫弁護士。

第一部では、「国家と麻原裁判」という主に国家と司法およびそれに関係することについてのテーマで、司法関係に詳しいフリージャーナリストの魚住昭氏が、『国家の罠』『国家の崩壊』などの著書でも知られる現・外務省職員の佐藤優氏に質問しお話を伺うという形で進行されました。
また第二部では、「誤った西山鑑定」というタイトルで、控訴審弁護団に依頼されて麻原被告と接見し意見書を作成された金沢大学名誉教授の秋元波留夫氏・小木貞孝氏(作家名:加賀乙彦)が、2006年2月20日に出された「麻原被告に訴訟能力あり」と結論付けた西山鑑定について論じられました。


※要注:以下のものは私が見聞きしてきたことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。

第一部 国家と麻原裁判

魚住氏は佐藤優氏と定期的に会って、日本がファシズム的な状況になっているのはなぜなのか、鵺のような全体主義の正体は何か、ということを伺っているそうで、それに関連して麻原被告のオウム真理教の思想や裁判について話が出たとのこと。
魚住氏も裁判の長期化批判に違和感を持ち、大きな事件のメカニズムを警察・検察の図式だけで解釈してしまって本当にいいのか、この事件をきちんと審議することで、他の側面も明らかにしなければ、なくなられた方々も浮かばれないと考え、現在の麻原裁判の状況はマスコミも裁判所も検察も世論も「早く吊るしてしまえ」という大合唱に危機感を抱いているとのこと。


佐藤優氏は外務省でロシア外交に携わっていたため、比較的早くからオウム真理教をウォッチしていたとのこと。また佐藤優氏はご自身が大学で神学を修められプロテスタントでもありその観点からの分析が大変興味深いものでした。

  • 1992年にロシア高官にオウム真理教について聞かれたのがはじまり。
  • ソ連は科学的無神論で宗教は非推奨。ソ連崩壊後、宗教政策が緩和され有象無象の宗教が出現。
  • オウム真理教はロシアの放送局の電波を購入。のちに国営放送で番組を放送。
  • 当時の副首相など政権の中枢に関係。ロシア高官や知識人からは警戒されていたとのこと。
  • オウムは仏教的な宗教団体だったが、ロシアの終末思想や宗教思想の雰囲気に強い影響を受けてキリスト教系のカルトに変化。
  • 当初の個人の「解脱」の問題から、社会の「救済」へ変化。宗教で恐ろしいのは「救済」という概念。大きく激しい殺人が起こるのは「救済」を実施するとき。
  • 「救済」された状態の「終末」を人間が自分の手で作り出していくのが「ユートピア思想」。それに対して「千年王国思想」の「終末」は到来するもの。
  • 教祖が「千年王国思想」で、その弟子が「ユートピア思想」を持っており、教祖の意向を忖度して弟子が行動を起こした可能性もあるとのこと。

また公務員とはどのような立場であるかも熟知されており、かつご自身も取調べを受け獄に繋がれた経験をお持ちなので、検察官の取調べや裁判官についてのお話も興味深いものでした。

  • オウム真理教関連者を取り調べるときに検察特捜部は宗教の学習もしたとのこと。異常な事件・狂信者の犯行というのは実行する者にとっては内在的な論理がある。検察の特にオウムの幹部から供述を得ようとした人たちはその論理構成はわかっている。事件の難しさを一番知っているのは取調の検事たち。
  • それと供述調書は別。検察は本質的なところで裁判官・裁判長を信頼していない。取調で被告人の実態をわかることと法廷で述べることはまったく論理が違う。
  • 裁判ではその辺の事情は裁判官にまったく考慮されない。わかりやすい裁判しか許されない。国民に言ってもわからないという愚民視がある。だから麻原被告は権力欲があり薬物や修行を無理やり強いた大悪人であり教祖の号令一下で犯罪が行われた、しかもふてぶてしい態度で拘置所で国の税金を無駄遣いしている、という議論になる。
  • 裁判官は弁護人と検察官の主張を吟味しなければならないのに、控訴趣意書を作らないのがけしからんといって発言していること自体がおかしい。中立性を侵犯している意識がない。
  • 先日の西山鑑定について重要なのは、鑑定人が意図的にこのような結論を下したのではないだろうということ、むしろ職業的良心から行っているであろうこと。
  • それは鑑定医や司法ジャーナリストなども含む(広義の)法曹界の「集合的無意識」、意識しているのであれば「共同主観性」の現れ。そうであれば性質が悪い。偏見を持っていないと思っている偏見ほど恐ろしいものはない。

佐藤氏のオウム裁判への認識は以下の通り。

  • オウム事件は宗教の歴史を見れば定期的に起こる終末運動のひとつ。宗教による政治運動がどのような論理構造で動いているのかということを国民が学ぶチャンス。でないとまた類似の事件が起きる。
  • 左派市民的感覚や人権擁護論者の感覚から今回の裁判がおかしいというよりも、むしろ右派国家的立場から日本の社会や国家を守るためにも真相を明らかにして学んでいくべきと考えているとのこと。
  • 麻原被告を吊るすのは国家としては安易な方法。麻原被告にしか話せないことを聞くための可能性を追求すべき。

質問コーナーで第二部で登場される秋元波留夫氏から鑑定に関して法廷での宣誓や反対尋問が行われたのかという質問が。松井弁護士が以下のように回答されていました。

  • 鑑定は普通弁護側か検察側が行うものであり、その場合は鑑定医は法廷で宣誓をさせられ、反対の立場側から相当厳しい尋問を受けるとのこと。
  • 西山医師の鑑定に関しては、公開の法廷での宣誓は行われておらず、もちろん反対尋問も行われていないとのこと。それは鑑定の形式を使った意見聴取としか認識できず裁判官が判断する際の参考資料でしかない正式な鑑定ではないとのこと。

また秋元氏は佐藤優氏に大変興味を抱かれていたようでした。

第二部 誤った西山鑑定

秋元波留夫氏は御歳100歳。お話も論理も明瞭。70歳代と言われてもなんの疑問も抱かないくらい矍鑠とされておりました*1
小木貞孝氏(作家名:加賀乙彦、以降「加賀氏」と記述)は秋元波留夫氏が東大教授の時の助手を2年勤められ死刑囚の研究をされ、拘置所の医師を経験し死刑囚の拘禁反応の事例を収集されたり、「加賀乙彦」のペンネームで小説を世に出されているとのこと。
両先生とも弁護側から要請されて麻原被告に接見し、拘禁反応から訴訟能力なしとのご意見を持たれております。お話の概要は以下の通り。

  • 鑑定結果を出した西山詮氏は東京大学で秋元波留夫氏の下で学ばれていた弟子であるとのこと。しかしこの鑑定結果に対しては仁義なしに厳しく反対していくとのこと。
  • 加賀氏は日本中の死刑囚を訪問・診察していかに死刑囚が拘禁反応を起こしやすいかということを論文に書かれており、麻原被告に接見したときもそれまでの経験から拘禁反応から言語で公判内容を理解する能力はないとの認識に至ったとのこと。

西山医師の鑑定結果は「現在拘禁反応の状態にあるが、拘禁性精神障害には至っていない偽痴呆性の無言状態である」といういもの。それについての両先生の見解。

  • 西山鑑定は言葉の使い方に誤りがあるとのこと。
  • 「偽痴呆性」とは言語的な交流ができる状態であり、「偽痴呆性」の有力な根拠は質問に対する的外れな応答をする場合など。無言では根拠にならない。西山氏も無言ということを認めていて「偽痴呆性」というのは矛盾している。
  • 拘禁反応と拘禁性精神障害が連続しているような書き方になっているがそれは別物。そのふたつに連続性はないとのこと。
  • 西山鑑定で麻原被告を3度鑑定して、麻原被告が述べた言葉は「痛い」など簡単な言葉が4つ。それ以外は言語的なコミュニケーションが全く取れていない。言語的コミュニケーションなしにどうして訴訟継続可能なのか根拠が示されていない。
  • 拘禁反応は拘禁状態を解いて別の施設に移すことで数日から半年で劇的に改善するのこと。加賀氏の日本中の死刑囚の調査では、他施設に移して治らなかった経験は一度もないとのこと。しかし西山鑑定には拘禁反応を直す医者は日本にはいないと断定的な記述がなされているとのこと。
  • 西山鑑定には「被告人はものを言わないが、ものを言う能力が失われたことを示唆する兆候はない」と記述しているが、これは推測でしかなく科学者のとるべき態度ではない。
  • 「実際コミュニケーションをとる能力があることはさまざな方法から証明されている」という記述も、西山鑑定が参照している拘置所での異常な行動の記録と訴訟能力があるということはあまり関係がない。
  • 西山氏が精神医学者として間違った鑑定をするというのは残念。

また裁判に関して

  • オウム真理教事件と言うのは先進国で化学薬品を使って行われた大事件であり、世界中の各国がその原因を注目している事件なのに、麻原被告の発言なしに状況証拠だけで裁判が進められることは、日本が適正な裁判をしないで断罪すると国際的貢献もできなくなってしまう。
  • 治療が必要ならば治療して裁判すべき。裁判が遅れているのは拘禁反応を放置しているからに過ぎない。日本の司法の訴訟能力を世界に示すことができないしその能力を疑われかねない。

やはり両先生も、安易な断罪を優先して過去の犯罪とは性質の違う犯罪について社会が学習する機会を逃すべきではないということを仰っておりました。


※要注:以上のものは私が見聞きしてきたことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。

関連リンク

追記:2006-04-29

第4回目の公開討論会に参加してきました。