公開討論会「こうするべき!麻原裁判控訴審」参加

公開討論会「こうするべき!麻原裁判控訴審」に行って参りました。会場に着いてエレベーターに乗ると宮崎学氏・大谷昭宏氏と同乗になってしまいました。会場ではまる激にゲスト出演していた弁護人の松井武弁護士に資料を手渡ししていただきました。

公開討論会「こうするべき!麻原裁判控訴審

    • 森達也 氏(映画監督)・・・取材のため来場するも参加

正直申しますと、麻原裁判については今回の報告・討論を聞くまで何が起こっているのかほとんど知りませんでした。関心が薄れていたということの証でもあるでしょう。そしてこの問題から社会の様々な問題が見えてきました。だからこそ知ったことを記録したいと思います。


※要注:以下のものは私が見聞きしてきたことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。

0.麻原彰晃控訴審の経過概要

配布物を元にkawakita作成。
※一度1〜3の内容を読んでから以下を読むと経過がよく理解できます。

麻原彰晃控訴審の経過概要

  • 2004年
    • 02月27日 東京地裁死刑判決(一審判決)
    • 04月05日 現在の弁護人が接見を開始するも被告人と面会できず
      • 以降7月26日まで37回面会できず
    • 06月末  裁判所:控訴趣意書提出期限を2005年1月11日までと指定
      • 裁判所:「骨子だけでも提出してくれ」「この裁判は2年で終わらせる」と発言
      • 弁護側:被告人との意思疎通がとれない以上、趣意書は書けない旨を一貫して主張
    • 07月29日 弁護人が接見室に行くと車椅子に座った麻原被告が存在
      • 意思疎通は不能、その後週二回程度接見するも状態は同様
      • 裁判所は弁護人に対して趣意書の作成情況や弁護人の増員に関してしか話題としない
    • 10月28日 精神鑑定申立、第一次公判手続停止各申立(弁護側)
      • 裁判所は検察官に意見照会
    • 12月10日 東京高裁裁判官2名が書記官とともに被告人に面会
      • 東京拘置所にて「控訴趣意書提出に関する手続教示」と称して面会
      • 後日裁判官は弁護人に対して、被告は裁判官の質問に対して「うん、うん」等の音(声)を発したとして「こちらの言っていることを理解している」旨を述べる。
    • 12月20日 東京高裁は第一次の各申立に対し「職権発動せず」と決定
    • 12月27日 東京高裁に控訴趣意書提出期限延長申立(弁護側)
  • 2005年
    • 01月06日 東京高裁が控訴趣意書提出期限を2005年8月31日に延長
    • 07月29日 第二次公判手続停止申立(弁護側)
      • 医師の意見書(拘禁反応で昏睡状態、訴訟能力なし、治療により治癒可能性あり)添付
    • 08月19日 東京高裁は第二次の各申立に対し「職権発動せず」と決定
      • 配布の書面には「訴訟能力を有するとの判断は揺るがない」と記述
      • 配布の書面には「鑑定の形式により精神医学の専門家から被告人の訴訟能力の有無について意見を徴することを考えている」と記述
      • 弁護人に対し「鑑定結果出るまで趣意書提出あれば期限内提出として扱う」と記述
    • 08月22日 東京高裁に「鑑定の形式」につき刑事訴訟法上鑑定の規定に基づき、公開での鑑定を求める書面を提出(弁護側)
      • 後日、非公開での鑑定であることが判明
      • 9月に実施され3ヶ月程度で鑑定結果が東京高裁より発表される予定
    • 08月31日 控訴趣意書提出期限
      • 弁護団は趣意書提出をしない旨を伝える、以降そのままの状態が継続
    • 弁護人の接見は2005年12月27日現在で170回実施

1.現状認識と議論の前提(2006年01月22日の段階)

  • 弁護側が控訴のために必要な控訴趣意書を出していない/出せない状態。理由は麻原被告と意思疎通が出来ないので第一審判決のどの部分に不服があるのかわからないため。
  • 東京高裁が2005年9月に鑑定人を選定し、非公開ながら鑑定を実施し3ヵ月後を目処に鑑定結果が出る予定(2006年1月か2月)。
  • 訴訟能力ありということになれば、控訴趣意書が提出されていなかったという理由で一審確定(死刑)の可能性あり。控訴審実施の可能性もあり。
  • 訴訟能力なし・疑わしいということになれば、控訴審は行われず治療プロセスに入ることになる。治癒すれば控訴審が開かれ死刑になる可能性もある。

2.麻原被告の状態について

野田正彰・関西学院大学教授(精神科医)が2006年1月6日に麻原被告に接見

麻原被告の様子と野田氏の見解
  • 「ああ・・・」「うう・・・」と声を発するが意思疎通は全く不可能。
  • 弁護士・鑑定医(野田氏)ともに麻原氏が接見室を出入りする様子を見たことがない(自発的行動が出来ないので連れて来られているだけの可能性が高い)。
  • 一定の過酷な状況から逃避するための拘禁反応が現れている。これは詐病ではなく意識下の心因反応。
  • 麻原被告は詐病との決め付けは社会の側のイメージの投影。教団を率い凶悪犯罪を行ったのだからそれくらいの演技はできると。被告の困難な状態を乗り越えていくだけの力がない人格的に未熟な面を無視している。
  • 拘禁状態に置かれれば反応は様々なバリエーションがあり、どれが詐病でどれが拘禁反応かを厳密に言うことは簡単ではない。
  • 精神医学の伝統的な見解としては、犯罪実行時に責任能力があった人が逮捕後に拘禁反応を起こしても事件当時の責任能力なしとは認めないというものがあるので、精神鑑定することを誤解してはならない。
  • 拘置所の医師、検事も意思疎通が出来ないことをコメントで認めている。弁護人も意思疎通ができない。実際鑑定した3名の鑑定医も意思疎通がとれない。
  • 意思表出のない状態で裁判を行い極刑を与えるべきなのか。半年程度治療すれば治る可能性があるので回復過程をみて裁判を開始すればよいのに、裁判官が許容しない。

3.宮台真司氏:社会学の観点からの麻原裁判

適正手続の面から見る東京高裁の行為
  • 裁判所が適正な手続で問題を進行させているかが問題。
  • 裁判員制度導入を背景とした訴訟の迅速化・高速化という世論および政治的な要求に対応して、適正手続を踏むよりも迅速な裁判の体裁を維持することに優先順位が高く置かれている。
  • 東京高裁の裁判官が(名目は控訴趣意書の手続説明のため)麻原被告に弁護人への断りなく立会い無しの接見をしたことは適正手続の面から問題。
    • 起訴状一本主義の対審制
      裁判官は白紙の状態で弁護側・検察側の意見を判断することになっている、裁判官が弁護人の立会い無く被告と会うことは通常ありえない。
  • 裁判所の鑑定が非公開であることも議論可能(現行の法的には適正)。
  • 麻原氏の現在の状態を適正な手続に沿って明らかにした上で訴訟を進行/病気を治療し、結果死刑であっても判決を下す手順を重視すべき。
  • 弁護人が意思疎通できず、3人の鑑定医が治療が必要と言っているにもかかわらず、裁判所の選定した鑑定医によって責任能力ありと鑑定され控訴棄却・一審確定または裁判が進行されるのは適正とは思えない。
  • 世論の感情で適正手続を曲げてはならないというのが近代社会のあるべき態度。
社会の側の受け止め方の変化と裁判の関連、メディアの問題
  • 人格障害というカテゴリは病気ではないがまともでない人という意味なので責任能力はあるが動機の探索が難しい・共感可能性が乏しいので、特に刑事裁判において被告の動機を深く詮索せずに刑罰を与える方向に変化している。
  • 精神障害人格障害の境界は曖昧なので刑が減免される被告とされない被告の違いが恣意的だとされ、刑法39条が適用される場合が減少している。
  • アメリカでは9.11以降、憲法学会の解釈が推定無罪(疑わしきを罰せず)から推定有罪に変わり、適正手続で裁判を行わずに超法規的に執行が行われる社会になっている。同様な変化をすれば波及効果が大きいので日本では法の枠内で不十分であれば法を変更して適正な手続で対処すべき。
  • 被告人にわずかでも利益になる可能性のある制度的拡充をすると「被告人の人権ばかり考えて被害者の人権はどうなるのだ」と発言する政治家の人気が上がる。断固たる処置をとる政府・政治家が人気を得やすい。
  • メディアは世論が激高しているときに不人気になる報道はせず、政府の発表をそのまま流して煽っていることが問題。
  • 裁判官は適正手続を世論に阿る判決に優先させる動機付けをもたないため基本的に信用できない。統治権力や世論の要求に対抗しうる防波堤となるような制度が存在していないことが最大の問題。

4.野田正彰氏:日本の精神鑑定の制度不備

  • 日本の司法と精神鑑定の関係は砂の土台の上に成り立っている。
  • 鑑定医は鑑定の傾向がはっきりしている人が選ばれるのが実態。「一部責任能力あり」という鑑定を出しがち。
  • 裁判官は精神医学の知識はないのに判決文に恣意的に鑑定書を引用して自分の判断根拠としている。
  • 海外では精神鑑定用の病院で複数の鑑定医によって1ヶ月間全生活的に鑑定がなされるシステムが存在するのに対し、日本では鑑定医は一人で期限が区切られず被告を徒に長く不当に拘禁してしまう恣意的な状況。
  • 日本では重要案件のみ精神鑑定が実施される。殺人事件の被告の8〜9割では精神鑑定が行われない。
  • 裁判の鑑定医として登場する人は、臨床医ではなく、人間観は精神障害者は何をするかわからないという偏ったもの。臨床医をしていればそうでないことは自明。
  • 精神科医1万人に対して患者が30万人いて、多忙のため精神科医は鑑定医をしたがらない。当番制を確立して鑑定医が偏らないようにし、現行の一人での鑑定を改め複数人の合議制にするべき。
  • 裁判官は過去の鑑定結果について最低限学ぶ制度が必要がある。
  • 司法では最終的には法律的な判断であるため、精神鑑定を行うか/行わないか、その鑑定結果を取り入れるか/取り入れないかは裁判官が判断。鑑定医は恣意的に使われてしまう。

5.「被害者・遺族の感情を思えば」という言説をどう考えるか

  • 被害者は直接の加害者がどうなるかということのみならず、なぜこの社会でその犯罪が起こることになったのかということにも関心があるはず。加害者がこの社会にそのように生きざるをえなかった要因を考えることが社会を知ることになる。
  • 被害者の感情は簡単ではない。被害者の感情が被告を殺せと思っているとすることは、感情の選択を許さないこと。人は異なる感情の同居、感情の時間的変化は起こりうる。死刑を求める世論が考えている被害者感情とは何かを考え直す必要がある。
  • メディアは加害者が死刑に処されて被害者の遺族が仏壇に手を合わせる画を撮りたがる。
  • 池田小事件の宅間被告は2年で死刑に処されたが、被害者の遺族からなぜこんなに早いのかという意見も出た。
  • 被害者を匿名報道にするという犯罪被害者支援法も実は被害者の本当の姿を知られたくないからではないか。
  • 死刑の執行や裁判の迅速化は国家権力のすごさを示すものでしかない。早く執行すべきということは隠すべきことが多くあるということとも言える。威信と隠蔽のために被害者感情を利用されているのではないか。
  • 裁判だけでなくその他の調査が出来るようになぜ要求しないのか/できないのかを考える必要がある。司法だけで問題を解決しなければならないと言われすぎている。被害者やその遺族が真相を知るための制度の整備を進めるべきではないか。
  • 被害者の感情に便乗して論を進めるべきではない。加害者の等身大の姿だけでなく、被害者の等身大の姿もわからなくなる。

6.宮崎学氏:アウトローかつ自立の観点からの根本的問題提起

一見暴論に見えますが、近代社会の運営には社会契約以前の自主・自立の気概が内包されている必要があるのかも、と思わされました。

  • 国家が被害者の代理をして加害者の命を奪うことで、被害者(や遺族)の気持ちは収まるか?宮崎氏は納まらない。家族・近親者を殺されたら愛情の発露として自力救済(殺し返す)をめざす。被害届は出さない。
  • 裁判所と社会の関係の中で「自力救済」を禁止したことも考え直すべき。裁判という制度を否定する考えに近い。
  • 加害者の人権、被害者の人権と言われるが、(国家に保障される)人権一般に問題を解消してしまうことは、国家支配の論理に乗ってしまうことになる。自力救済こそ目指すべきで、お上がもっとしっかりしてくださいなんて恥ずかしくて言えない。

※要注:以上のものは私が見聞きしてきたことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。


その他にも国策捜査小泉政権の関係とか、ホリエモン強制捜査(1/22時点)のこととか、弁護人の松井弁護士が綾小路きみまろに似てるwとか、まだまだ多くのことが語られたのですが、僕のはしり書きメモはこれくらいが限界なので勘弁してください。以上です。

追記:2006-01-25

宮崎学氏の講演の全文が宮崎学氏のサイトで読めるようです。

追記:2006-02-20

追記:2006-02-28

宮台氏の発言部分の全文が宮台氏のサイトで読めるようです。

追記:2006-03-12

第3回目の公開討論会に参加してきました。

追記:2006-04-07

麻原死刑でOKか 公開討論会の全内容が書籍化されたようです。

追記:2006-04-29

第4回目の公開討論会に参加してきました。