東京法哲学研究会例会・森村進氏の報告を傍聴

明治大学で行われた東京法哲学研究会の1月例会でリバタニアニズムを研究されている森村進氏の報告が聞けるとのことで一般参加してまいりました。タイトルは「リバタリアンな分配的正義」。今回の報告では平等主義をとる人々が暗黙に前提としていることをリバタリアンの観点から反論を試みられたとのこと。僕もそれを聞いてみたくて参加したのでした。

※要注:以下のものは私が見聞きしてきたことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。


自由はどこまで可能か―リバタリアニズム入門森村氏はリバタリアンを自称されており、分配政策に関しては、自己所有と自由市場から来る財産権は正当であるけれども、最低限の生活を保障するためのある程度の富の分配は認めるというミニマリストの分配的正義の立場であるとのこと。


まず批判として、平等主義の正義論は「平等」を中心的な価値におき「何の平等か」を最初から問うが、「なぜ平等が重要なのか?」という問いを立てない、ということを仰っておりました。リバタニアニズムは、分配の分量の等しさではなく、「法の下の平等」・消極的自由の平等など形式的内容の同一性を求めるので、「何の平等か」という議論には基本的には与しないとのことです。
ただ「最低限の生活を保障するためのある程度の富の分配は認めるというミニマリスト」としては、個々人の絶対的水準の貧しさに関心をもつが、相対的な格差を問題とはしない、とのことでした。ここでの再配分の根拠としては

  • 優先性説:「絶対的な基準」で生活水準が悪ければ優先して配分すべき。
  • 十分性説:「誰もが同じものを持つ」ということではなく「誰もが(最低限)十分に持つ」ために配分すべき。

があると説明されていました。
問題は何をもって「絶対的な基準」が解消されるのか、「十分」とするかという線引でしょう。そしてここから皆がある絶対的基準を満たしていればそこから先は格差は問題ないということになります。森村氏は「不平等を軽減する」のではなく「不幸を軽減する」のだと仰っておりました。
「(相続財産など)個人の功績に拠らない不平等は是正されるべきか?」という問題も、「機会の平等」というときのスタートラインをそろえるという問題も、まったくの平等を実現すべきというよりも、多くの人の判断は上記リバタリアニズムの再配分の「十分性説」に近いのではと仰っておりました。そしてそもそも自由権・財産権は「何かを達成することで認められるものではなく、生得的に認められる権利」であると。
次に平等主義では「分配されるものの分量は一定だという前提」が無意識になされているとのことで、分配を行う際の

  • 直接的費用:分配を実施するための(審査・実施・監視等の)非生産的な直接費用
  • 間接的費用:分配で集められた財の機会費用

が考慮されていないという批判をされていました。
そして社会道徳というものが「それぞれに異なった目的・利益を持った人々の共生を維持すること」にあるとするならば、平等主義的再配分を行うために特に所得税累進課税を実施するということは、社会の統一的目的に人々を否が応でも従わせることになるのではないかと。平等主義が言う「必要悪として格差を認めるが、本来は平等であるべき」という各人に利己的利益以外に他者の利益を考慮するように要求することははたして上記の意味での「道徳的」なのか?と。各人は自分のリソースを自由な目的に使用することができるとするほうが道徳的ではないか、と仰っておりました。


「社会におけるどのような存在に対しても無条件の肯定を与えるべき」という言説をよくみかけますが、僕もそうであってほしい/そうであるべきとかなりの程度で思いますが、今回森村氏のお話を伺ってこのリベラリズム的言説と各人の自由を可能な限り認めようとするリバタリアニズムははたして本当に対立するのだろうか、と考えさせられました。
森村氏の報告を聞く限りでの感じでは、「十分性説の『十分』さ」や「絶対的基準」はそこまで高くないと仰っていたのですが、最低限存在が保障される「程度」のラインにおいてある種の「攻防戦」が行われることになるのではないでしょうか。会が終了したあとに、森村氏に質問されている方がいて、「たとえば少数のまれな難病者が一日生きるのに1千万円かかるとしてもそれは十分性説的には認めるべきなのか?」との質問をされていました。森村氏はそれは認めるべきであろうと仰っておりました。僕が思いついたのは健常者でも一日(一ヶ月)働いて生活を維持することが困難な場合はどうするのか、そこを手当てできないかと考えました。今は生活保護/就労がデジタルに分断されていますが(就労すれば生活保護不可など)、何をもって「困難」とするかは問題であるとしても、グラデーション的に再配分を実施して「十分」を実現できないかと*1
それが実現できるのであれば、社会で最低限存在が保障されるラインが整っているという前提条件が満たされるのであれば、リバタニアニズム的な自己決定・自己責任原則はそう簡単に否定できないし、社会に格差が存在することがはたして問題なのかということは再検討する必要があるように思いました。
また「不平等が存在する中での比較による嫉妬」による不幸はどうするかということが報告後に質問されましたが、リバタニアンは「他人と比較せず、自分の生をよりよいものへする」とのこと。このリバタニアンの言説にも一理あると思います。


M2:思考のロバストネスたとえば宮台真司氏が「希望格差社会批判」批判をするのを見て「宮台は格差容認」と言っている方がおられるようですが、宮台氏は複数の施策をパッケージ的に提唱されていて、「第三の道」的な「機会の平等」の保障や再帰的な生活世界の形成による(かつてとは違う意味での?)相互扶助の復活という条件の整備面のことも仰っています。それととともに「万人が労働での自己実現を目指すべきなのか」「二極分化した層が同じものさしに依拠するから疎外感を抱くことになる」という「希望格差社会批判」批判を考える必要があるのではないかと思います。
さらに言うなら、多様な生き方を認める社会に本当になったのであれば、幸せのかたちは一様ではなく、「核家族で郊外に一戸建てで住むことが実現できることである」「その実現を目指せないことは希望格差に繋がる」という考え方は改め、まさにフリーターであれシングルマザーであれ幸せに生きていける社会、そして他者との比較による「嫉妬」「不安」から、自らの「幸せ」「信頼」を目指すことが推奨される社会が構想される必要があるのではと思いました。

■だから、民主党が示すべきは「都市型リベラル」の政党アイデンティティです。「小さな政府」が「弱者切り捨て」を伴ってはいけないと主張し、「都市型弱者」である非正規雇用者やシングルマザーや障害者の支援を徹底的に訴える。「フリーターがフリーターのままで幸せになれる社会」をアピールすればいいのです。

■「都市型保守」のネガティビティに「都市型リベラル」のポジティビティを対置する。「不安」に「幸せ」を、「不信」に「信頼」を対置する。本当にタフでカッコイイのはどちらか。言うまでもありません。


直接森村氏のお話を伺って影響されまくっているだけなのではという反省は必要かと思いますが、リバタニアニズムは条件さえ満たせば簡単に否定できない、ということはよくよく考える必要があるのではないかと思います。今回は大変勉強になりました。


※要注:以上のものは私が見聞きしてきたことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。


―――【追記:2006-01-16】―――――――
「社会成員全員がなんとか生きていけているというゼロポイント」ということを立岩真也氏と稲葉振一郎氏のトークで話されていたのを思い出しました。

市場経済肯定論者は市場が社会全員を底上げしていると主張。しかしそれは社会成員全員がなんとか生きていけているというゼロポイントが前提とされていなければ成り立たない。必ずしもそうではない(放っておいたら生活が困窮する人、死ぬ人がでるという)状態がシステマティックに存在するとすれば、市場の底上げ機能は不十分かもしれない。それが証明できれば、結果の平等を目指すための再配分は肯定的にとらえられる可能性がある。

「初期条件」は前のプロセスの「結果」であり、「結果」は次のプロセスの「初期条件」となる。ある一時点の状態を平等にすればよいという話ではない。「初期条件」であれ「結果」であれその状態がどのような最低条件を満たしていなければならないかということが重要。


―――【追記:2006-01-24】―――――――
以下の記述について、地方公務員をしている友人からコメントをもらいました。

僕が思いついたのは健常者でも一日(一ヶ月)働いて生活を維持することが困難な場合はどうするのか、そこを手当てできないかと考えました。今は生活保護/就労がデジタルに分断されていますが(就労すれば生活保護不可など)、何をもって「困難」とするかは問題であるとしても、グラデーション的に再配分を実施して「十分」を実現できないかと。

「グラデーション的な再配分」は子家庭のため十分な労働時間がとれず収入が少ない場合などで認められることがあるとのことで、完全に「生活保護/就労がデジタルに分断」ということではないでそうです。この点については完全に僕の無知からくる誤解でした。
ただ、僕が構想(妄想)したのは、ベーシックインカム議論にもつながりそうな、もう少し一般的かつ高水準な「十分」さのことですが。

*1:そのときの僕の思いつきなのでちゃんと検討すれば実現コストなど問題はたくさん出てくるでしょうけど