映画『ミリオンダラー・ベイビー』鑑賞
遅まきながらクリント・イーストウッド監督の映画『ミリオンダラー・ベイビー』を観て参りました*1。この映画、大きく前半と後半に分けることが出来ると思うのですが、事前情報からは僕は前半のみの内容(失意の老トレーナーが人生を賭けているボクサーを見出し、ボクサーが成功を収めることで自分も救われる)の映画を想像していたため、観に行くのが遅くなりました、というか観に行かないと思っていました。
行くきっかけになったのは京都カフェ・オパールの以下の感想を読んだため。
- 2005年6月14日 ミリオンダラー・ベイビー
http://www.cafeopal.com/reviews/05/jun/reviews050614.html - 2005年6月17日 ミリオンダラー・ベイビー
http://www.cafeopal.com/diary/05/jun/diary050617.html - 2005年7月4日 『ミリオンダラー・ベイビー』について・・・(注意:ネタバレあり)
http://www.cafeopal.com/diary/05/jul/diary050704.html - 2005年7月5日 続・『ミリオンダラー・ベイビー』について・・・(注意:ネタバレあり)
http://www.cafeopal.com/diary/05/jul/diary050705.html
そういえば宮台真司氏も最近のダ・ヴィンチの連載で映画『許されざる者』に言及して「イーストウッドが右翼*2」と記述しているし*3、上記の京都カフェ・オパールの感想でも「イーストウッドは政治的にはリバータリアンである」であると記述されています。今回の映画でも人生は自分で切り開くしかないし自分で責任をとるしかないという覚悟と実践が見事に描かれていました。一個人として生きていくときに人間が尊厳を持って生きるとはどういうことなのか、そのためには何が必要なのかということを見せつけられました。これはリバタニアンの「魂」の映画でした。やられました。
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