スーザン・ソンタグ氏死去

chikiさんの成城トランスカレッジid:seijotcp)を見てスーザン・ソンタグ氏が亡くなったのを知る。

僕にとってソンタグ女史と言えば著書『隠喩としての病い』と『エイズとその隠喩』。病の「隠喩」を説明してくれているサイトを探してみたので以下に「ペスト―結核―ガン―エイズ」の順になるように紹介。病の隠喩は、ソンタグは克服すべき対象と論じたが、我々のイメージの中に根強く存在することは否めない。

スーザン・ソンタグ『隠喩としての病い』(みすず書房一九八二年)では、結核とガンを対比させながら、病気にまつわるさまざまなメタファーを論じている。ソンタグによると、病気は道徳的性格に適合する罰と考えられ、一種の懲罰的色彩をおびている。たとえば、ペストは道徳的汚染の結果であり、結核は病める自我の病気であるというように。このように病気にはさまざまな意味づけがなされてきた。しかし「病気とは隠喩などではなく、従って病気に対処するには――最も健康になるには――隠喩がらみの病気観を一掃すること、なるたけそれに抵抗すること」(六ページ)すなわち「非神話化」が必要だという。

ついでに言うと、ソンタグは、結核が抗生剤の発明で治る病気になった現代では、最も意味作用の強い病はガンだと言う。ガンはまるで「侵略者」のイメージで語られ、そのためにガンの治療は「戦争」の比喩で語られていると言う。ソンタグ自身ガンからの「生還」を果たした女性であるだけに、説得力を持つ議論だ。ガンが日本人の死因の三割以上を占める現在、あまり好ましい比喩ではないが、「あいつは会社のガンだ」と言えば、その意味するところは誰にでも通じる現実が、ガンが最も強い意味作用を持つ病であることを証明している。

S・ソンタグが『エイズとその隠喩』(富山太佳夫訳、みすず書房、1990)で指摘したように、エイズとは身体的な疾病である以上に社会的な疾病である。未だ有効な治療法が確立されていないのもさることながら、この不治の病が盛んに喧伝された1980年代初頭、大多数の感染者が同性愛者で占められていたこともあって、それが新たなマイノリティ差別の引き金となったからである。

この、血液(および他の体液)で感染するエイズという病は、単なる病気としてではなく、意味や記号を担ったものとして、人々に様々な観念を呼び起こした。スーザン・ソンタグは『エイズとその隠喩』で次のように述べている。「癌恐怖はわれわれに、環境を汚染することの怖さを教えてくれたのに対して、今は、人間を汚染するのではないかという、エイズ不安が必ず広めてしまう怖さがある。聖餐式カップが怖い、外科手術が怖い、と。生、つまり、血、精液、そのものが汚染の運び手なのだから。これらの液体は致死の力を秘めている。避けるにしくはない。人々は万一に備えて自分自身の血を貯えるようになった。われわれの社会で利他的な行動のモデルとされていた匿名の献血が、誰のものとも分からぬ血をもらうのが不安になってきたために、揺らぎ出した。エイズはセックスに関するアメリカの道徳主義を再強化するという不幸な効果を持つだけでなく、さらに、自己利益中心の文化を(普通「個人主義」として称えられるものの実体の多くはこれである)強めることになる。自己利益の追求が、素朴な医学的気配りとして、さらに後押しされるのだ」