仲正昌樹『不自由論』『お金に「正しさ」はあるのか』再読中


「不自由」論―「何でも自己決定」の限界

お金に「正しさ」はあるのか
先日のトークイベントに参加して宮台真司仲正昌樹『日常・共同体・アイロニー』を購入するも、すぐには読まずに仲正さんの『不自由論』『お金に「正しさ」はあるのか』を再読中。
理由は宮台氏があとがきで書いてある、そしてトークでも仲正さんがちょっとだけネタにしていた「仲正さんの実存的バイアス」を見てみたいと思ったため。以下はMIYADAI.comに掲載されているあとがきの一部。

■彼の諸著作に見られるのは(今回の連続対談イベントで確認できたが)、思想史について語るときは実にブリリアンドなのだが、時事的現象について語るときには実存的バイアスによって偏った議論になりがちという傾向だ。これは必ずしもケナシ言葉ではない。
■『不自由論』は院生や社会人も参加する学部の演習教材として用いたが、「思想書の虫」のような手練れには、オオウケだった。思想史を紹介する手つきのオーセンティシティ(本格ぶり)と、つなぎの文章の暴走ぶりのアンバランスが、実にツボに嵌るのだ。

僕は自分を「『思想書の虫』のような手練れ」とは思いませんが、再読してみて僕もツボにはまっています。特に『不自由論』は仲正さんのトークを聞く前に読んでいたので読み返してみると「ああ、こういう感じで行ってたんだな」というのがわかってきて確かに面白いです。