『海辺のカフカ(上)』再読

海辺のカフカ〈上〉
村上春樹病が再発したらしく読みたくなったので2年ぶりくらいに『海辺のカフカ(上)』を読み返してみる。多分当時も感動していたのだろうけどすっかり忘れていたフレーズが心地よい。今読んでみると第13章で「大島さん」が語る「アイロニーの美学」の意味が十分によくわかる。

フランツ・シューベルトのピアノ・ソナタを完璧に演奏することは、世界でいちばんむずかしい作業のひとつだからさ。とくにこのニ長調ソナタはそうだ。とびっきりの難物なんだ。この作品のひとつかふたつの楽章だけを独立して取りあげれば、それをある程度完璧に弾けるピアニストはいる。しかし四つの楽章を並べ、統一性ということを念頭に置いて聴いてみると、僕の知る限り、満足のいく演奏はひとつとしてない。これまでに様々な名ピアニストがこの曲に挑んだけれど、そのどれもが目に見える欠陥を持っている。これならという演奏はいまだない。どうしてだと思う?
・・・(中略)・・・
僕にも詳しい説明は出来ない。でもひとつだけ言えることがある。それはある種の不完全さを持った作品は、不完全であるが故に人間の心を強く引きつける――少なくともある種の人間の心を強く引きつける、ということだ。
・・・(中略)・・・
でも僕はニ長調ソナタに耳を傾け、そこに人の営みの限界を聞き取ることになる。ある種の完全さは、不完全さの限りない集積によってしか具現できないのだと知ることになる。それは僕を励ましてくれる。
・・・(中略)・・・
シューベルトというのは、僕に言わせれば、ものごとのありかたに挑んで破れるための音楽なんだ。それがロマンティシズムの本質であり、シューベルトの音楽はそういう意味においてロマンティシズムの精華なんだ