宮台真司『絶望・断念・福音・映画』上梓

最近のエントリーがほぼミヤダイ化してしまっていますが、雑誌ダ・ヴィンチで連載されている宮台氏の映画批評オン・ザ・ブリッジの40回分が単行本化され『絶望・断念・福音・映画』というタイトルで上梓されるとのこと。

この連載は僕はほぼ毎月チェックしている。見に行く映画の候補になるし、映画を見る勉強にもなるし、社会学・社会思想の勉強にもなる。それ以上に映画を通じて著作『終わりなき日常で生きろ』で語られた以下の言葉

しかし私個人は、“端的なもの”を受け入れ可能にする宗教的メカニズムのすべてが、別の手段と短絡的には代替可能な「行為系宗教」「体験系宗教」のいずれかに属するとは、じつは思っていない。ここでは抽象的な言い方しかできないが、現存する宗教的コミュニケーションの大半がたとえ「行為系」「体験系」のいずれかに還元されるのだとしても、私自身はそこに還元できない「宗教的なもの」がありうると、確信している。それは、カネにもクスリにも電極にも―いいかえれば具体的な「幸福」の目標にも、自分や世界の輝きを感じ取る「境地」にも―まったく無縁なものだ。このことについては別の機会に本を書こうと思っている。
の実践編でもある。最近宮台氏が語る「内在」と「超越」でいえば、僕はやはり「超越」系なのだろうと思う。これについては文章にすると誤解を受けそうな怪しいことを書きそうなのでこれ以上は自粛(笑)。

ちなみに今日本屋で見かけたダ・ヴィンチ7月号のオン・ザ・ブリッジ第50回「“我ら”とは誰か?我らの“原罪”は贖われるのか?その可能性と不可能性を描いた『パッション』と『CASSHERN』に原罪論の水脈を見る」は、この前の宮台氏と仲正氏のトークイベントの後半部分の原罪論・脱構築論が元になっていて面白かった。

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