映画『花とアリス』鑑賞

岩井俊二監督・映画『花とアリス』を日比谷スカラ座に見に行った。
端的な感想として、ネットムービー版の切迫感が心地よかったせいかセカンド・インパクトは弱かった。あくまで僕個人としては、ネットムービー版のほうが短くかつ背景が省略されていた分だけ、いろいろ読み込めて面白かったと白状しよう。
花とアリス』はネットムービー用ではなく、劇場公開の長編作品として撮られており、それを短編に編集したものがネスレキットカットのbreaktown.comで公開された。そもそもが長編用に撮られていたので、ネットムービー版では一部話の繋がりで意味不明な点があったが、今回の映画ではしっかり整合性が取れていた。ネットムービー版の第2話のラストで踊っているなぞの人物は誰か?まあある程度想像はつくのだけどネットムービー版ではまったく説明がなかったが、これは映画を見るとしっかりわかる。あと第3話のクライマックスで花がセンパイに「センパイが私を好きになったという事実はありません」と言う台詞はちょっと意味不明だったけど、長編ではしっかりと意味の整合性が取れている。

ただ音楽の使い方、場面の編集の仕方などが違うと、またいろいろなエピソードや詳細の説明が入ると、それはそれでやはり別物になるのだ。宮台真司は最近のダ・ヴィンチの映画批評の連載で『花とアリス』について以下のように語っている。

映画では「勘違いをなくす」どころか艱難辛苦の末に「勘違いを維持しよう」とする少女たちの「勘違いのなさ」が描かれるだろう。「勘違いのない」親友同士が、にもかかわらず、というかそれゆえに、旧世代から見て親密に見えないという逆説が描かれるだろう。

この文章は的を得ていて、ネットムービー版が『花とアリス』とすると、今日見た劇場公開版は『「花」と「アリス」』という感じだった。相互が独立して描かれていた印象が強い。それで花とアリスの関係の切迫感が薄くなったと感じたのかと思う。ネットムービー版に加えられたものをどう評価するか。ネットムービー版に面白さを感じてしまった僕はどうしてもそれに捉えられてしまう。だからなかなか評価が難しいのが正直なところなのだ。

ちょっとしたエピソードとしては、広末涼子の使い方が面白かった。仕事(オーディション)中に夫(または恋人)から電話がかかってきて話し込んでしまい、本質的なあることを見逃してしまうという役。世間に流布している悪い意味での広末涼子のイメージを具現化しているような(笑)。

以前にも語ったが、花・鈴木杏よりアリス・蒼井優。スバラシイ。