映画『ゲド戦記』鑑賞

kwkt2006-07-30

アーシュラ・K・ル=グウィン原作のファンタジー小説(の第3巻)をもとに独自の脚本でアニメ映画化したスタジオジブリの作品・映画『ゲド戦記』を109シネマズ木場にて観てきました。宮崎吾郎監督。
ネットで見る限り事前の評判が散々だったのですが、また公開後のレビューも散々なようですが、実際観てみると僕はそんなに悪くない、いや、むしろ良い作品だと思いました。

物語冒頭で、物語の世界で様々な「異変」が起こっていることが語られ、提示されます。「天変地異による大災害」「家畜の感染症の流行」「人がいなくなり廃墟と化した村々」「中毒性薬物の蔓延」「人身売買の横行」「偽ブランド品・紛い物の流通」「忙しく働きつつも目的なく存在感を抱けないでいる人々(設定)」、そして「動機不明の父殺し(家庭内暴力?)をしてしまった鬱屈した少年」と「親に虐待された(児童虐待)少女」の登場と、どこか現代を連想してしまう設定となっています。
そして予告編でひたすら語られていた

  • 「世界の均衡(バランス)が崩れつつある。」
  • 「人間の頭が、変(ヘン)になっている。」
  • 「命を大切にしない奴なんて、大嫌いだ!」

となると、善良な主人公が艱難辛苦を乗り越え世界の秩序を回復する物語で、そんな若者の真意を理解し遠くから見守る老人(≒宮崎駿)と、親子連れで観に行っても大丈夫なようにお子様が喜びそうなちょっと不思議で可愛らしいキャラクターが登場するファンタジーが期待されていたのかもしれません。そういう内容でないことは確かだと思います。


評価するにしてもダメ出しするにしても、作品中に「生と死」「命」という言葉がでてくるため、それらが主要な(ある意味説教臭い)テーマのように感じられますが、僕はもう一歩進んで見えてくるテーマがあるように思いました。設定として挙げられた混乱・不安の渦巻く世界を人はどう生きていくか、その最も根源的な現象としての「生と死」にどう向き合うか、そのときの対照的な二つの「態度」が示されていたように思います。
ひとつは死の不安・生の意味の不安定さから逃れるため魔法の力で「不死」を求める態度。これは「これさえあれば自分は幸せなはず」「これがないから自分は不幸だ」と思ってしまう「(生きる意味の)無限背進*1に怯える実存」「不動の土台を求めるある種の神経質さ」*2*3と言えましょう。
もうひとつは、いろいろなところで言及されている鷹(タカ)の自主・自立のイメージ。たとえ不安になろうともオタオタせずに、あるがままの自分を環境をそれでも信頼して前へ進む態度が推奨されています。それが「結果的に・事後的に」人に気高さ・賢さ・力強さ・超然さを備えさせる、と。生きて前に進もうと意志することこそが、鷹のように誇り高く、野に咲く花のように凛と、「あなた」のように何ごとにも泰然自若と屹立できる源泉となる、と。そして「悲しさ」「切なさ」「寂しさ」を同居させているその心を何にたとえよう、と。
この二つの態度の区別さえつけば、原作を読んでおらずとも、個々のキャラクターの持つ(観る者にとって未知の)過去が突然語られようとも、作品を享受するのにほとんど関係ない。ジブリ脳内満足ファンタジーとしてではなく、神話的・寓話的な観方をすれば(解説を読む限り原作もそういうもののように感じます。)、まったく問題ないように思います。
世界をすべて規定しつくしてしまおうとする態度は、原作「ゲド戦記」に多大な影響を受けてきたといわれる宮崎駿氏の監督作品では、これまで常に無垢で善良な主人公に(ある意味)敵対するものとして描かれてきたものでもありました。力で世界を征服しようと試みる帝国の女王(『風の谷のナウシカ』)・古代人の末裔(『天空の城ラピュタ』)、文明の利器で自然を征服しようとする無縁の踏鞴場の女棟梁(『もののけ姫』)、他者の承認を渇仰し抑えの効かない異形の神(『千と千尋の神隠し』)、己の力と欲望の際限を知らない魔女(『ハウルの動く城』)・・・。この主人公と敵役の対立・分割の構図をもつ物語が、これまでは主人公は艱難辛苦を乗り越え成長し、敵役が改心するという形で収拾されてきましたが、混濁した世であればこそ、今回は主人公が、規定されたものに安心し未規定なものに怯え神経質になる二元論的態度から、規定されたものであれ未規定なものであれ何でもありの一元論的態度へと、二つの態度を跨ぐことになります。そして物語では「不死の命さえあれば幸せだ」とするベタも、「不死の命が得られないのならばどうせ死んでしまうのだから生きても意味がない」とするベタも、双方拒絶・克服されます。


ジブリ作品というこれまでの期待・前提から「そんなのイヤだ」という人が多そうな気もしますが、僕は宮崎吾郎監督はそれなりに良い作品を初監督ながら創られた気がします。主題歌の作詞も作品世界をよく理解してのものだと思います。『ゲド戦記』は世界公開が予定されているそうですが、ネットでは「世界公開はやめてくれ」などと言っている人がいましたが、日本の評価と違って海外ではそれなりに評価されるテーマなのではないかと思います。
ちなみに予告編・宣伝で繰り返されているフレーズは以下のように解釈するとよいように僕には思われます。

  • 「見えぬものこそ。」
    • ≠「物質的なものより精神的なものこそが大切」
    • ≒「たとえ不確か・不確実であっても」
  • 「命を大切にしない奴なんて、大嫌いだ!」
    • ≠「命が最も大事だから大切にしなきゃダメ」
    • ≒「(自分に確たるものがないからと)命を簡単に投げ出すのは匹夫の勇・ヘタレだ」

と、大筋で評価しつつも僕がう〜んと思ってしまったところ。
その1:少女にああも易々と城の最奥部に侵入されてしまうとはあまりに警備が杜撰すぎじゃないですかw?ウサギさん。でもそんなのはどうでもいいのですw
その2:あのテレビCMの勘亭流書体の「満員御礼」「大ヒット上映中」という文字は何なんでしょう。そんないまだに『平成たぬき合戦ぽんぽこ』の雰囲気を思い出させるようなCMをしてるからいわゆるジブリのイメージが増幅されて今回の作品のイメージとの落差をミスリードしてしまっているように思います。あれはいただけない・・・。でもこれもどうでもいいことですw

追記

ゲド戦記』に好意的なレビューを集めてみました。基本的に同感です。

*1:どんなに根拠を探してみ確たるものは見つからない

*2:参考1:http://www.miyadai.com/index.php?itemid=365

*3:参考2:http://www.miyadai.com/index.php?itemid=192

KawakitaのBookmark(2006/07/24-07/30)