蓮實重彦とことん日本映画を語るVOL.14「映画において、男女はいかにして横たわるか」参加
青山ブックセンターで開催された蓮實重彦氏が映像とともに映画について語るトークイベント・蓮實重彦とことん日本映画を語るVOL.14「映画において、男女はいかにして横たわるか‐やくざ映画からにっかつロマンポルノへ‐」に行ってきました。
映画においては、造形的に男女が二人で横たわっているシーンはなかなか画面に収まらず、かつ、制度的な意味で男女が同時に横たわることを執拗に避けてきた歴史があるそうです。多くの場合では一人が横たわり一人が傍に立っていたり座っていたりして見守るシーンが撮られ、その場面は生と死が関係しているとのことです。
まず映画で撮られてきた「横たわる」男女の基本構図の説明がなされました。
- 映画の中で男女二人が横たわることの困難(多くは女性が横たわり、男性がその傍に立っていたり座っていたりするシーンとなる)
- レオ・マッケリー『新婚道中記【字幕版】』(1937)
- ベッドに横たわっている女性と傍に立っている男性という構図
- グリフィス『散り行く花』(1919)
- 息絶えた女性をベッドに横たわらせ、傍らに座す男性という構図
- ブレッソン『ブローニュの森の貴婦人たち』(1944)
- 今にも息絶える女性の傍でそれを見守る男性という構図1
- 小津安二郎『晩春』(1949)
- 父と娘が同じ部屋で横たわっている珍しい構図
- ダニエル・シュミット『今宵かぎりは』(1972)
- 今にも息絶える女性の傍でそれを見守る男性という構図2
- カール・ドライヤー『奇跡』(1955)
- 死後棺桶の中で横たわっている女性が傍の男性の祈りで生き返る(!)という構図
- レオ・マッケリー『新婚道中記【字幕版】』(1937)
やくざ映画において「横たわる」とは「死」を意味するとのことです。
- やくざ映画において「横たわる」ということ(=死の明示・暗示)
- マキノ雅弘『次郎長三国志 第六部「旅がらす次郎長一家」』(1953)
- 病の女性(若山節子)が即席担架に横たわって運ばれるシーン
- ジョン・フォード『リオ・グランデの砦』(1951)
- 海外映画の担架の例。戦場から帰還した負傷兵(男性)が即席担架で運ばれ、それを女性が迎えるシーン
- マキノ雅弘『侠客列伝』(1968)
- 刺された親分が担架代わりの雨戸で運ばれるシーン/親分が絶命して白い布をかぶせられているシーン
- マキノ雅弘『日本やくざ伝 総長への道』(1971)
- 横たわる女性のシーン・・・後の死を暗示/出所してきたやくざに女性が看取られるシーン
- 加藤泰『明治侠客伝 三代目襲名』(1965)
- 男女の絡みが横たわらずに展開されるシーン(=死なないことの暗示)/親分が絶命して白い布をかぶせられているシーン
- マキノ雅弘『次郎長三国志 第六部「旅がらす次郎長一家」』(1953)
にっかつロマンポルノは70分程度の映画内に6〜7回男女のシーンを入れればあとは監督は何をしてもよいという野放図さから、ひとつのジャンルにまとめられない多様さがあり、しかるべき監督が撮った作品には秀逸な見るべきシーンがあるとのことです。
- にっかつロマンポルノにおける横たわる男女・屍体
映画において横たわる人間をスクリーンに収めることの難しさとその意味するところが語られたように思います。
追記:2006-04-16
以下のサイトに当日の詳細な内容レポがあります。
- Contre Champ(id:hj3s-kzuさん)
- 2006-04-15 蓮實重彦とことん日本映画を語る VOL.14
http://d.hatena.ne.jp/hj3s-kzu/20060415
- 2006-04-15 蓮實重彦とことん日本映画を語る VOL.14
※上記サイトで使用されている画像は、前述のカール・ドライヤー監督『奇跡』における死んで横たわっている女性が男性の祈りで生き返る場面です。