蓮實重彦とことん日本映画を語るVOL.13「祝祭のあとさき―60年代から70年代への視覚」参加
1950年代の「黄金時代」を経て、60年代は日本映画にとって「変化」と「衰退」の時代であったらしく、映画館の外では変革の時代であった60年代に映画の中では「抒情性への回帰」と「儀式化・美化への反動」の両方が現れていたとのこと。それを検証する作品が多数上映されました。
- 映画と音楽の関係について
- 映画監督が本気で撮った叙情的場面と音楽
- やくざ映画における討ち入りシーンと音楽
- 山下耕作『兄弟仁義・関東命知らず』(1967)
- 加藤泰『緋牡丹博徒』(1970)
- マキノ雅弘『昭和残侠伝 死んで貰います』(1970)
- 内田吐夢『人生劇場 飛車角と吉良常』(1968)
- 儀式化・形式化・美化への否定例
- やくざ映画の「母もの」「妹もの」「センチメンタル」「湿っぽさ」の結晶
- 海外の巨匠も音楽を使うと・・・
- ジャン=リュック・ゴダール『映画史』(1989-1996)
ファンの方々には大変申し訳ないのですが、今回のトークのように場面を部分的に見てしまうと、本来盛り上がってしかるべき討ち入りシーンでの北島三郎(『兄弟仁義・関東命知らず』)、菅原文太(『昭和残侠伝』)、高倉健(『緋牡丹博徒』)、鶴田浩二(『人生劇場・飛車角と吉良常』)の所作・言動が笑えてしまいました*1。そしてその後の鈴木清順監督の『東京流れ者』のシーンに至ってはもう笑う以外にないといった感じでした。
それにしても確かに寅さんは流れ流れるやくざ者という設定でしたが、ヤクザ映画の要素の結晶が『男はつらいよ』だったとは。その後それらの要素は徐々に巧妙に排除されていったとのことです。
*1:けっしてバカにしているわけではなく、観る文脈によって受け止め方が変わってしまうということです