見田宗介氏講演会「マグリット、ダリ、ミロ −現代美術と現代社会」参加

kwkt2005-10-24

大竹財団主催講演会「マグリット、ダリ、ミロ −現代美術と現代社会」に参加してきました。


朝日カルチャーセンターで昨年行われた見田先生の「芸術社会学入門」の記録の大澤真幸氏の言葉を読んでいたおかげで、前もって心の準備はできていたのでよかったです。

「見田先生はたいてい30分以上遅刻なさいます。ですからみなさん、驚かないでください。」
「なにしろ『時間の比較社会学』をお書きになった方ですからね。」
「この時間を、無駄だとか無意味だと思わないことが重要です。
そう感じるということは、既にある種の疎外が始まっているということです。」
「見田先生は私が最も尊敬する人です。学生のころはとてもかなわないと思っていました。」
「若い人の中には見田先生にお会いしたことのない方もいらっしゃるでしょう。
でも、『その人に会ったことがある』のと『ない』のとでは大きな違いがあります。」

見田先生、その前の時間が講義だとのことで30分ほどきっちり遅刻(笑)。初めて見田宗介氏を生で見る。
講義の内容も、あとで読み返してみると、朝日カルチャーセンターでの講座と重なる点もあったが、僕は参加していなかったし、絵画の素養もおおよそないので、目から鱗だらけ。

シュールレアリズムの絵画では、それまでの絵画が「あるべきところにあるべきものが描かれたいた」ものが、「あるはずのないところにあるはずのないものが描かれるようになった」そうです。それが1924年シュールレアリズム宣言において「解剖台の上でのミシンと洋傘の偶然の出会いのように美しい!(ロートレアモン「マルドロールの歌」)」と形容されたそうです。そしてそれらは人間がそれまでの共同体からの自由であることの歓喜と不安を描写しており、自由感・浮遊感・開放感とともに「遠いもの」に向う切実な真情が表現されているとのことです。

特にミロとダリが中心に解説されました。ミロの「カタロニア風景」およびダリの「欲望の謎」は、故郷の風景を描いており、故郷から出たい・自由になりたいという願望と出てしまったあとの不安や孤独を表現しているそうです。ミロは自由・解放の象徴として「梯子」を絵画の中に描き続けたとのことです。作風は具体的に見える「梯子」から最後は抽象的な「梯子」へと変遷しますが、ミロの抽象画は「どこか明るく幸せな雰囲気がある」と見田先生は仰っていました。確かに解説を伺って画の変遷を見たのちに「青 Ⅱ(三部作)」を見たとき、僕は衝撃を受けてしまいました(スライドなのに)。
またシュールレアリズムは「非現実」を描いているのではなく、当時流行のフロイトユングの精神医学の知見を取り入れ、理性だけで捉えきれない人間の「高次の現実」を描こうとする欲望があったとのことです。
芸術社会学の入門中の入門編だったようですが、とても参考になりました。マグリットは昔から好きだったのですが、ミロとダリにも虜になってしまいました。


※要注:以上のものは私が見聞きしてきたことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。