大澤真幸『現実のむこう』出版記念トーク&サイン会参加

三省堂で開催された大澤真幸氏の『現実のむこう』出版記念トークに参加してきた*1。『現実のむこう』には昨年東京で行われた3度の講演内容が収録されており、今回のトークの内容は、その昨年のトーク第1回の民主主義の議論の応用編とのことで、民主主義における意思決定の簡略版思想史の解説とその欠点、それらの欠点を補うための大澤案が説明された。
大澤氏によれば、民主主義は以下のような論点で肯定化されてきたとのこと。

  • 民主主義は人民が人民によって人民のために自己統治するからよい。
    • これは多数者の少数者支配を覆い隠すフィクションになっている。
  • 民主主義は体制内に言論の多様性を確保できるからよい。
    • 現在は意見が違うとも、議論を重ねれば将来的にひとつの結論に行き着くという想定ができてこその多様性容認という性質がある。現在において問題となっていることは、将来的に結論を共有できると思えない対立が発生している。
  • ロールズの社会契約論・正義論について
    ロールズは(フィクションとして)社会の成員が「無知のヴェール」をかぶれば、全員が以下のことに合意すると考えた。
    • 基本的自由の平等
      奴隷制・少数者差別の否定
    • 機会の平等
      社会成員の社会参加(就職・就業など)における機会の平等を保障
    • 格差原理
      経済的格差は認めるが、累進課税などで「弱者に優しく、強者に厳しい」不平等は認める。
  • これに対する大澤氏の反論
    • 基本的自由の平等について
      何が「基本的自由」なのかの合意が「無知のヴェール」状態で可能なのか?特定の価値にコミットしていてこそ基本的自由が定義できる。
    • 格差原理について
      ロールズは社会・共同体内の一部の人間の犠牲によって成り立つ社会の否定をしている。映画『ソフィーの選択』のような選択*2は現代では珍しくない(人口問題、環境問題)。一部の人の犠牲の上に一部の人を助けるという現実があり、ロールズの議論はこれを否定できない。

民主主義の理論には反対する人はいないが、現実的には問題があるとのこと。
そして大澤氏の案。

  • 対立するAとBという共同体があるとして、その対立を調停する場合
    • A、Bの対立を調停する「委員会」をつくり、委員会に参加できるのは各共同体の「媒介者」のみとする。媒介者は各共同体のメンバーではダメ。関係ない人の方がよい。
    • 委員会では討議してもいいし、多数決でもいいし、場合によっては籤引きでもよい(!)
  • この議論が面白いのはそのメカニズムにあるとのこと
    • 媒介者は「問う者」、各共同体の弁護者ではない。
    • 共同体の価値観は「自分が選択する前にすでに決まっていた」という「先験的選択」
    • 媒介者に委員会で意見を主張してもらうために、共同体A(またはB)の価値観を具現しているメンバーは媒介者に「なぜそう思うのか」と問われることになる。
    • 「問われること」は「先験的選択」の「遇有性*3」を開くことになり、共同体の価値観にコミットする前の選択状況に引き戻される。
    • 自分の先験的選択は絶対・必然ではないことがわかる。
    • 委員会の「決定」「権威」に従ってもらうことで、自分の価値観・選択を相対化・遇有化し、先験的選択を「追体験」してもらうことで和解の可能性をさぐる。

先験的選択の話や問いかけのメカニズムが非常に面白いと思った。実際の制度としての運用の難しさは置くとしても、さまざまなテーマに応用可能な理論だと思った。
トーク終了後、大澤氏にサインいただきました。

*1:大澤氏は何度見ても僕のおばあちゃんに似ている(笑)

*2:第二次大戦下、ユダヤ人女性が自分の二人の子供のどちらかを選ばされ、選んだ子は生き残るが、選ばれなかった子は死、という選択。

*3:どちらでもありえた、どうでもありえた、ということ