斎藤環×仲俣暁生トーク「現代日本文学はどこが面白いのか」参加

極西文学論―Westway to the world 文学の徴候
池袋ジュンク堂にて開催された斎藤環氏と仲俣暁生氏のトーク現代日本文学はどこが面白いのか」に行ってきた。開始時刻ギリギリに到着するも、空いていたトークする方々の真隣の席に座ることに。目の前の椅子には斉藤環氏が座ることになり、僕の目の前で喋っていた。


内容は、一応『極西文学論』と『文学の徴候』の販促ということで、まず斉藤環氏の『文学の徴候』について、仲俣氏が仲俣氏は重要な作家と位置づけているがとりあげられていない小説家(星野智幸氏や吉田修一氏)をなぜとりあげなかったのかという質問から始まった。斉藤氏の回答は面白くて、人間の営みはすべて「症状」と捉えるのがいわゆるラカニアンの精神分析の立場であり、違和感が感じられる作家を好むが、個人的な好みでしかないので、作家の資質を示すものではない、と答えていた。
仲俣氏が『極西文学論』でかなり推している舞城王太郎氏の作品の特徴から、日本の文壇の批評の閉塞性や批評することの意味(「批判」ではなく「発見」)などが論じられた。
しかし、ジュンク堂での話者二人の対談で前回も起こったことだけれど、その後、対談者がお互いに聞きたい話が展開されることに・・・。テーマは仲俣氏が映画を観ないという話、仲俣氏がオタク系アニメを観ないという話、仲俣氏(ヤンマガ派)・斉藤氏(スピリッツ派)の好きなマンガの話、オタクについての話など。
なので質問コーナーに入ると、「夏目漱石村上春樹を読んでいて共感できるが、舞城王太郎阿部和重の小説を読んでもあまりピンとこなかった。面白いということが前提だったように感じたので、どこが面白いのかということをもう少し解説してほしい。」という質問が出ることに。確かにトークのテーマが「現代日本文学はどこが面白いのか」だったので、そこを中心に語ってほしいところではあったが、ジュンク堂トークイベントの性格上*1からすると、話の脱線は仕方ないのかも。
その質問の回答の詳細については、仲俣氏は一応持ち越しということになった、のかな?僕も仲俣氏の著作に触れてから紹介されている小説を読んでみようと思っている一人なので、次回の3月に行われる予定の渋谷ブックファーストでのトークを期待しております。

*1:茶店でのダベり感(笑)