第7回That's Japan連続シンポジウム こころ「真」論1:子どものリアルと成熟社会参加

台風直撃の中、横殴りの雨で水浸しになりながら、途中山手線が止まるトラブルに見舞われながらも新宿区牛込箪笥区民センターへ到着。それでも会場には満員とはいかないまでも7〜80人は来ていました。パネラーは元リクルート社員で杉並区立和田中学校長の藤原和博氏、That's Japan連続シンポジウムではすでにおなじみの精神科医高岡健氏、そして毎回登場の社会学者・宮台真司氏で「子ども」がテーマ。

こころ「真」論1:子どものリアルと成熟社会:概要

  • 藤原和博氏の和田中学校での取り組みや状況からトークが始まりましたが、非常に興味深いことばかりでした。まず図書館の蔵書から子供たちが読まないものを捨てコミックを入れたそうです。図書館の利用者がそれまでの10倍になり保健室の利用が激減したそうです。また土曜日に中学生が地元に住んでいる教員志望の大学生に勉強を教えてもらう寺子屋のようなものを開いているそうです。居場所のない子供たちの勉強だけでなく異世代の大学生との交流の場になっているそうです。
  • そして最大の取り組みが「よのなか科」。藤原氏は生徒と大人が一緒に学ぶのが目的で、どうすれば世の中で役に立つ知識となるのかということを学ぶ場所であり、「住民」を「市民」に変えるための運動でもあるそうです。「住民」とは学校でイベントなどを開くとうるさいと匿名で電話をかけてくるような存在であり、「市民」とは地域に半分コミットして自己責任で行動しようとする存在であるとのこと。欧米では成熟社会を市民が担っているが、日本では戦後50年間文句を言うサラリーマン住民しか育ててこなかった。地域のあらゆる(経済・政治・社会)問題に(全面的ではなく)半分だけ積極的にコミットする存在をどう育てるかを課題としているそうです。担い手は若い人たちをネットワークして、子供たちと「斜めの関係」を豊かに作り出すことを目的としているそうです。
  • 精神科医・高岡氏は臨床の立場から藤原氏の取り組みを評価。世代間における伝達は、縦の関係(親-子、教師-生徒)でも横の関係(生徒同士)でもない「斜めの関係」ではないかと仰ってました。臨床の場では拒食症・過食症を含む依存症が多いがそのような依存症が多い社会は居場所を奪われた社会ではないかと。世代間伝達があり居場所のある社会を藤原氏は学校の中で試みているように見えるとのこと。
  • そして「斜めの関係」の重要性を説いていました。子供から大人になっていく過程でアイデンティティを確立する際、自分を掘り下げてもどこにも至らないだろう。誰かを参照するしかないが、今の日本ではその「誰か」がいなくなっているのだろう、と。今の日本ではその「誰か」を安易に縦の関係である親や権威のある人間に求めてみたり、横関係で競争させたりしがちで、それでは両方とも子供は傷つくだけ。それよりも「斜めの関係」でしか社会に多様な人がいるという像を結べないのではないだろうかと主張していました。そういう参照先がないので今の青少年たちは自分の過去を掘り下げてトラウマを発見しようとするが痛々しいほどそれは成功しないとのこと。
  • 宮台氏はどういう社会がいい社会なのかを二人の議論をまとめながら抽象的に三つの座標軸で説明していました。(1)国家と社会、(2)不安と信頼、(3)流動性と多様性(MIYADAI.com:金子勝藤原帰一宮台真司・A.デウィット『不安の正体!』筑摩書房への後書き:「ブッシュの悪」で「アメリカの悪」を覆い隠すな!(http://www.miyadai.com/index.php?itemid=145)参照)のどちらを重視した社会をよいと考えるのかと。近代社会は私的自治が原則であり、自分たちで解決できることは自分たちで解決するのが本義。自分たちで解決できないことを警察・司法の呼び出し線を使って国家を頼るのが近代社会のあり方。社会のために国家があるという考え方と、国家のために社会があるという考え方があるとして、日本ではなにかと自分で問題を解決せず行政に文句を言う傾向があるとのこと。これが信頼と不安の軸では、知らない人間を信頼できる社会がよいのか、知らない人間は不安なので監視アーキテクチャーを張り巡らせる社会がよいのか、ということで後者に傾きがちになり、何事につけ国家を頼り、社会を信頼しない社会は流動的な社会となり、流動性の高い社会では信頼を構築するのにコストがかかり、不安を鎮めるために国家の監視が重要だということになるとのこと。
  • 藤原氏によると、寺子屋で大学生たちが教えてて気付くことは、子供たちと関係性を構築しないと教えられないということで、関係性が構築されてはじめて伝達が可能になるとのこと。つまり人間は縦の関係(家庭における親と子、学校における生徒と教師)以外のところの「斜めの関係」こそが居場所になるのではないかと言っていました。縦の関係では本当は安心できていないのではないか、斜めの関係の方が教育効果がよっぽど高いのではないかということから、図書館や校長室に斜めの関係の媒体としてコミックおいたり、さまざまなことをやっている、また変わったおじさんの役割を演じ「斜めの関係」を構築することを重視しているとのこと。信頼/不安、多様性/流動性でいえば「斜めの関係」がなければ信頼も多様性も実現できないのではないかと主張していました。
  • 高岡氏は「斜めの関係」がないところでこそ、何が起きるかといえば不安と流動性なのだろうと言っていました。「他者の参照」「斜めの関係」は生身の人間関係だけではなく架空の人物・歴史上の人物でも果たしうる*1とのこと。予備校教師が学校の教師より有利ないのは、いかにまともな人生を歩んでこなかったかということを堂々と公言できて、生徒たちにどういう人生を生きてきたのかという歴史性を感じ取りやすいからであろうと。子供たちは「他者の参照」としての「斜めの関係」を結びやすい環境が必要だろうと主張していました。
  • 宮台氏はベネッセの調査による「反抗期の消失」もトラブル・リスク回避の現れだろうと言っていました。反抗期は社会性を体現する親を嫌悪し、しかし社会条件に拘束されている親を断念と共に受容する、そしてその親に育てられている自分を受けれていく通過儀礼プロセスだそうです。これがないということは全能感を維持したまま社会の中で自分がどのような位置で生きていくのかを自覚できなくなってしまうこととなり、そのような社会がよい社会なのだろうかと。
  • 学生を観察していると本当に些細なことで横の牽制が働いているように見えるそうです。今は縦の関係がなくなって横で相互牽制しあって孤立していて、軋轢・トラブル回避が最優先時効になっているとのこと。これは親の態度、社会の感受性でありマニュアル・役割関係はトラブル・リスク回避が目的であると考えられるそうです。しかしトラブルを回避する関係は陰影も含蓄もなく、トラブルの後にこそ結べる濃密な関係があると様々な例を挙げて主張していました。

安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方

  • その後、議論は山岸俊男氏の「安心社会」から「信頼社会」への議論に近くなっていきました。印象的だったのが藤原氏が「安心」と「信頼」に修飾語をつけていたこと。感情的な「安心」から知的な「信頼」へ、と。トラブルがあること自体を許さない、安心できないと感情的に騒いで臭いものに蓋をする社会から、トラブルがあっても解決できると信頼できる社会という認識へと変化していくことを教育を通じて行っていこうとしているとのこと。

*1:間違っても戦国時代・明治維新期の大河ロマンの意味だけではない