廣道純さんの講演会

カイシャの社員会みたい組織があって、毎月給与から500円天引きされて、いろいろな行事を開催するのだけど(そしてその多くは参加したいと思えないような演劇鑑賞(劇団四季)やボーリングや旅行なのだけど)、本日は珍しくカイシャに人を呼んで話を聞くというイベントだったので参加してみた。


講演者はシドニーパラリンピックの車椅子競技の800メートルで銀メダルを獲得した廣道 純さん。廣道氏は800メートル走以外にもマラソンで日本トップクラスの方で、これまでも大分国際車椅子マラソンに何度も参加されて日本人では彼以外未踏の総合2位(もちろん日本人1位)になったこともあるという日本のトップクラスのアスリート。
廣道氏の話を聞ける機会がもてたのは、「組織内で個の力を上げながら、チームワークの重要性に注力していかなければならない現在、障害をかかえながらも、ご自身の可能性にチャレンジをし続け、支援者とともに結果をだされている廣道さんに、ご自身の経験談を含めご講演していただきます。多数の方のご参加をお待ちしております。」、という理由で社員会の役員が計画したらしい。「いかにも」なカイシャ企画だけど、それでもメダリストの話を聞ける機会はないので参加してみた次第。
現在30歳の廣道氏が車椅子生活を送るきっかけとなったのが15歳(!)の時のオートバイでの転倒事故。そこで脊髄を損傷してしまい下半身が動かなくなったとのこと。だがそれを語る彼の口調はきわめて明るく、その当時も健常者から障害者になってしまったという意識より、事故で死んでた可能性が高いのにまだ生きている、という意識のほうが勝って不思議と落ち込まなかったとのこと(もちろん苦悩がなかったわけはないのだけれど)。昔から「走る」のが好きだったという廣道氏は車椅子競技と出会い、すぐにそれを始めて日本でもそれなりのアスリートに成長していったとのこと。ある程度のレベルに達したとき、ある有名外国人選手に憧れをもちボストンの大会に参加して英語もわからずにその選手に話しかけ、最後にはホームステイをして一緒に練習をさせてもらったりと車椅子競技をしていたからこその出会いがあり経験があったとのこと。彼が自身を振り返ってみても、もし事故がなく健常者のままであればおそらくそのような出会いはなかったし、15歳でバイクをのりまわしてたくらいなので(そこそこのワルだったらしい)、いろいろなことを学ぶことをしなかったのではないか、と仰っていた。とくにその外国人選手とコミュニケーションをとるためにNOVAにも通ったそうで、その機会がなければ永久に英語を学ぶことはなかったと言っていた。また90年代半ばに多くの大会で好成績を収めていたにもかかわらず96年のアトランタオリンピックの代表選考レースでそのレースだけ成績が悪く代表に選出されなかったため、逆にシドニーで銀メダルが取れたのではないか、と言っていた。仮に96年のアトランタに出ていても当時の能力ではメダルには手が届かなかったのではないか、と述懐していた。またシドニーのメダルが銀だったことも次への挑戦意欲をかきたてるという意味で金でなくてよかったのではないか、と言っていた。
廣道氏の人生の軌跡を聞いていると「万事塞翁が馬」という言葉が思い出される。彼は車椅子生活にならなければ、今ここで講演なんてする機会がもてることもなかったと言っていた。前述した通り競技生活においても同様。壁があってこそ、それを乗り越えてこそ、平坦な道を歩いていたときよりも濃密な体験を送れるのではないか、ということだ。この点こそは人生の不思議というか大いに学ぶべきところであった。しかし難点をひとつだけ言えば、「障害者の方ががんばってメダルを取るまで活躍しているので、僕らもがんばろう」パッケージはなかなか強力で、この会の趣旨がまさにそれで、参加している経営層のオジサン方はその観点から大いに満足して話を聞いていて、会場もそんな雰囲気だったことが、僕の気持ちをゲンナリさせたのも事実。明るく、物怖じせず勇気を持ってチャレンジする。この彼の属性はすばらしいと思うのだけど、オジサンたちがウンウン頷いて聞いているのを見ると、どこか素直に受け入れられなくなる僕はひねくれているのかもしれない(笑)。