宮崎学氏主催「緊急!「人権派弁護士」批判に答える。」参加

新宿にあるネイキッド・ロフト*1にて緊急開催された宮崎学氏主催の「緊急!「人権派弁護士」批判に答える。」に行ってきました。会場は立見続出の盛況でした。
当イベントの発端となったのが、宮崎学氏のサイトの山口県光市母子殺人事件の被告の弁護人・安田好弘氏が当初予定されていた最高裁の口頭弁論を「欠席」したことについての以下のエントリー。

宮崎氏のサイトに匿名で寄せられた批判や、これから安田弁護士へのバッシングがさらに起こると予測される中、現在の状況をどう考えていけばよいか、安田氏自身も現在控訴審を闘っており(一審は無罪)そのような中でのメディアによる今回の人権派弁護士批判は適切なのか、ということが語られました。
宮崎学氏の呼びかけの下、魚住昭氏(ジャーナリスト)、二木啓孝氏(日刊ゲンダイ)、宮台真司氏(社会学者)、佐藤優氏(外交官)、佐高信氏(評論家)、中村順英氏(日本弁護士連合会前副会長)が発言されました。


※要注:以下のものは私が見聞きしてきたことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。


宮崎学氏から最初に以下のことが提言されました。

  • 安田好弘弁護士が「人権派」を名乗ったことはなく勝手に付けれらた名前。
  • 法律の問題と道義の問題の混同。被告と弁護士の人格を同一視してしまっている。
  • 凶悪犯でも被告を弁護するのが弁護士の仕事。それを弁護することはけしからんという理屈が多い。


魚住昭氏から、安田弁護士が2006年3月14日の第一回の口頭弁論に欠席した経緯が解説されました。

  • 山口県光市の母子殺人事件は一審・二審で被告に無期懲役の判決が出た。
    • 通常最高裁では口頭弁論は開かずに書面審理だけで二審判決を支持するかしないかというのが流れ。
  • 2005年11月28日に最高裁から2006年の2月7日または3月14日に口頭弁論を開くと当時の弁護人へ通知。
    • 口頭弁論が開かれるということは二審判決が覆るということ。
    • 当時の弁護人は最高裁に口頭弁論の延期を申し込む。
  • 2005年12月6日に当時の弁護人が安田氏に弁護を任せる予定の旨を最高裁に通知。
    • その直後に最高裁は2006年3月14日に口頭弁論を開くことを決定。延期を認めず。
  • 安田氏は自身の控訴審のみならず弁護活動に忙殺されている状況
    • 安田氏が広島に行く機会があり2006年2月27日に拘置所で被告に接見。そこで弁護することを決めて最高裁に通知。
  • 安田氏も3月14日の口頭弁論の延期申請を最高裁に提出。
    • 新しい弁護人が選任されて弁護人が交代する場合延期は通常認められるが、最高裁は延期申請を却下。
  • 安田氏は二週間しか準備期間がない状況で口頭弁論に出て行っても何もできないので、時間を稼ぐしかないということで口頭弁論を欠席。

その後、4月18日に口頭弁論が最高裁で開かれたようですが、それまでの間安田氏が何をしていたかも魚住氏から説明がありました。

  • 安田氏は広島の被告人に8回接見。
  • 最高裁の記録数千枚をデジカメに記録し精査。
    • 一審・二審で認定されていた被告人が殺意をもって冷酷非道な犯行をしたという事実が根底から覆るような事実が明らかになってきたとのこと。
    • 法医学者・上野正彦氏が同様に記録を精査したところ同様の結論に至り、殺意について重大な疑義を呈する鑑定書を作成。この鑑定書は現在最高裁に提出済み。

今後、安田氏に対するバッシングが繰り返されると考えられ、事実関係を無視したバッシングに注意すべきであると提言がなされました。

追記:

週刊金曜日2007年6月15日号で、会場で紹介された上記の「根底から覆るような事実」について報道されていたそうで、それを紹介しているブログのエントリーを追記します。

そして、気になったのは、後半の記事だ。

 二審までの弁護人は検察の描いた犯行態様を認め、事実を争わなかった。検察は「被告人は被害女性の首を両手で絞めて殺害し、女児の後頭部を床に叩きつけたうえ、紐で絞殺した」と主張、一・二審判決はそれを認定した。

 ところが、安田弁護士らが裁判記録を精査すると、検察主張の犯行態様が、遺体の実況見分調書や鑑定書と明らかに矛盾していた。女性の首には「両手で絞めた」跡がなく、女児には「床に叩きつけられた」はずの後頭部の損傷も「紐による絞殺」の跡もなかったのだ。

 一方、元少年の供述調書は当初「殺意」を否定していたのが、不自然な変遷を経て最後は検察主張と整合するものとなった。元少年は一審第四回公判の被告人質問でも「殺意」を否認していた。つまり「最高裁で死刑に直面して殺意を否認し始めた」のではなかった。

 メディアは、最高裁審理でも差し戻し審でも、こうした新弁護団の重大な指摘を伝えない。

「赤ん坊を床に叩き付けて殺した」という報道はショッキングなものだった。それによって、見知らぬ元少年への殺意を募らせた人も多いのではないかと思う。でも、それが検察側が「でっちあげたストーリー」だったのだとしたら、問題は別のところにも飛び火する。

マスコミの報道は、明らかに偏っている。弁護士バッシングを助長するような、明らかに本村さん寄りの興味本位な報道ばかりが目につく。

―――――(追記: 終わり)―――――


佐高信氏は安田氏が逮捕されその後保釈されたときに、週刊金曜日誌上で佐高信氏×宮崎学氏×安田好弘氏で座談会を実施されたそうです。

  • 安田氏が監獄に入ったとき「ああ、これで休める」と思ったと述懐したことが印象的。
  • 安田氏が変な形で捕まって「ようやく休める」というような状況はよくない。

またオウム真理教への破防法適用の件を引き合いに今回の件の説明をされていました。

  • 「オウムはよくないと思うが破防法の団体適用はおかしい」という主張に対して「オウムを擁護するとは何ごとか」という批判が噴出。
  • 悪がいったん決定してしまうと、弁護する人間にも嵩にかかってくる。


宮台真司氏は今回のバッシング関して、最近の多くの問題がポピュリズム戦争になっていることを指摘。特に昨年の総選挙以降、その傾向に歯止めがかからなくなってきている状況に対してどのような手当てが必要なのかが語られました。

  • 弁護側の特定のプレイヤーに責務・職務が集中しすぎていて、とてもメディア戦略・イメージ戦略に手が回らない問題が存在。
    • 事前に情報発信を分業的に行うことでメディアの不安を煽るタイプのキャンペーンに対しての免疫形成が必要。
  • 司法・検察行政・警察が人気主義的な流れに抗いにくい体制になっている。そのような方向で全体的に社会が組織されていっている。
    • 不安産業・不安商売に政治家・マスコミだけでなく90年代後半から官僚や民間企業も入ってきている状況を念頭に置いておく必要がある。


佐藤優氏はご自身の逮捕に至るまでの経験から現在の安田氏および社会の状況に危惧を抱かれているようでした。

  • 安田氏の状況は佐藤氏が逮捕される一年前の状況に酷似。
    • まず複数のメディアがバッシングを開始。
    • その後何らかの事件(逮捕・有罪判決など)が起こると、その記事が潜在意識となって、「状況はよくわからないけれどあいつは悪い」という流れになる。
    • おそらくそのベースとなるのが今回の光市事件の弁護。

佐藤氏は獄中経験を経る前は死刑賛成論者であったそうですが、獄中で死刑囚の実情を具に見ることで死刑制度に対しては疑問を抱かれているそうです。

  • 死刑囚は二種類。
    • ひとつは完全に外の世界を忘れて現在の状況に順応するタイプ。
    • もうひとつは徹底的に抵抗するタイプ。
  • 死刑を宣告された後、人間が過去の行為に関する反省はなされないのではないか。
  • そのような環境の中で国家に人を殺す権利はあるのか。それでも死刑は妥当なのか。

また国権という観点から死刑囚について考察が述べられました。

  • 国家と被害者遺族の感情はまったく関係がない。
    • 被害者が吊るしてくれと言っても国家が吊るさないと判断すれば吊るさない。
    • 被害者遺族が助けてくれと言っても国家が吊るすときは吊るす。
    • 民の論理と国家の論理は交錯していない。これをフィクションにおいて交錯させるのが国家の技法。
    • 利用できる範囲では国家は被害者感情を利用する。国家とはそのような暴力装置


日本弁護士連合会の前副会長の中村順英氏からは弁護士としての立場から現状の説明がなされました。

  • 今起こっているのは人権派弁護叩きというよりも刑事弁護叩き。
  • 刑事弁護人の活動は被害者の感情を逆撫でするような面があり、善玉(被害者)と悪玉(加害者)の二項対立が煽られる。
  • 犯罪への恐怖心が異常なまでに煽られている。悪党と決めたら煮るなり焼くなりどうにでもしてよいと考えるような感情が蔓延している。
  • 司法がポピュリズムに抗し難くなってきている。


二木啓孝氏は記者の立場から昨今感じる傾向を言葉にされていました。

  • 共謀罪や今回の件を含め嫌な感じがするのが「天井を低く」なっているということ。
    • 個人情報保護法、通信傍受法、住基ネットを通じて網をかぶせて管理しどんどん天井が低くなっている。
    • 天井が低くなるととんがった人の頭がまずぶつかる。それが今は安田氏。
    • 天井を低くすれば皆が頭を垂れるだろうという流れになっている。
  • 頭を垂れろという倫理観のバックグランドがポピュリズム
    • そのようなポピュリズムを醸成しているのは活字よりも映像のもつ訴求力の強さ。
    • 作っている方も正しい正しくないは自覚しておらず、ウケるかウケないかしか気にしていない。


司法に関するものも含めたポピュリズムに抗するための処方箋として宮台氏が以下の点を語られました。

  • 国家は社会をサポートする存在であり、社会をサポートできない国家はねじ伏せられる。それが近代社会の本義であり、その手段が憲法
  • フランスはデモ・暴動・ストで民主制は不完全さを補完するような文化的リソースがある。
  • アメリカの場合は、宗教的結社の伝統。優勝劣敗路線ではあるが、それに伍するNPO・NGO・寄付・ボランティアの伝統の厚みがあるから社会が回る。
  • 日本にはそのような共通前提になるものがないので、ルールを踏まえればなんでもあり、になると本当に何でもありになる。自分たちが連帯して国家をねじ伏せたという共通の経験を我々は持っていないので、それをどうカバーするのかということを戦略的に考えなければならない。


まとめとして魚住氏からは

  • 光市の事件をきっかけに最高裁の今後の方針、厳罰化と裁判の迅速化の実現しようとしている動きが考えられる。
  • これまでのように時間をかけて審議していくのはやめようということになっている。目障りだからやってしまえというのは手抜き。

また宮崎氏から

  • これからまた安田弁護士へのバッシングが起こる可能性および今後「人権派弁護士批判」がまた起こってくる。

ということが会場の人々に呼びかけられていました。


※要注:以上のものは私が見聞きしてきたことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。

追記:2006-05-15

こちら経由で当日の写真を見ることができます。

追記:2006-05-16

当日の様子を写真付でまとめられておられます。

  • 【マスメディアが民衆を裏切る、12の方法】

スガ秀実氏+花咲政之輔氏+松沢呉一氏「フーゾクと大学」 参加

ネオリベ化する公共圏―壊滅する大学・市民社会からの自律ジュンク堂で開催された『ネオリベ化する公共圏―破滅する大学・市民社会からの自律』(明石書店)の刊行記念のスガ秀実氏、花咲政之輔氏、松沢呉一氏によるトークイベント「フーゾクと大学」に行ってきました。
ネオリベ化する公共圏』は2005年12月20日早稲田大学の文学部におけるビラ配り青年への不当逮捕に対する活動の一環で執筆されたそうですが、松沢呉一氏も加わって「フーゾクと大学」を題材に管理や規制が蔓延する状況について語られました。


※要注:以下のものは私が見聞きしてきたことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。
まずは『ネオリベ化する公共圏』の執筆経緯の説明。

スガ秀実氏によればこれは大学だけの問題ではなく公共空間が縮滅しており、「ネオリベ」という言葉で現代を批判していればよいというような状況ではなくシビアな問題があると思われるとのことです。
その一例として風俗産業の規制について松沢呉一氏から説明がありました。

また『ネオリベ化する公共圏』で扱えなかった問題としてセクハラの問題も語られていました。

  • 大学にどうしょうもない・ろくでもないセクハラがあるのは確か。
  • アメリカでは「人事権など上下の関係があり」「拒否している意思表示があるにも関わらず強要」というのが条件。
  • 日本では各大学はセクシャルハラスメントガイドラインを設置しているが、基準が曖昧なため相手が嫌だといったらセクハラになる可能性がある。
  • 「拒否している意思表示があるにも関わらず強要」という項目を除いて拡大解釈し学内の管理に利用されている。

松沢呉一氏が説明されたアメリカでのセクハラとフェミニストの関係が大変興味深かったです。

  • アメリカでは不快な性的なものはすべて排除という傾向が進行中。
  • しかしフェミニストの大半がセクハラ規定に対して反対。
    • 法学部の妊婦惨殺事件を扱った試験問題がセクハラだとの訴えが挙がったが、それに対して別の女生徒たちが反対に回った。
    • もし女性がそのような事件に耐えられないならば女性は法律家になれないことになる。
  • 「不快な性的なものはすべて排除」という傾向は女性に家にいろというメッセージに繋がってしまいかねない。
  • あとになって「あれはセクハラだった」という言い分を認めてしまうことも問題。
    • それを認めれば女性の意思表示が軽んじられ契約を交わせなくなる。
    • 女性は意思表示ができない存在とされてしまう可能性がある。
  • アメリカのフェミニストはセクハラ問題を拡大させると女が生きられない社会になるという認識が明確にある。

それに対する日本の状況も説明されました。

エロと青少年の問題での規制はフリーパスになっており既成事実は積み重なっている現状を中心に、その他「健康問題」「エロ広告の印刷問題」「サウンドデモ問題」「法政大学(3/14)29名不当逮捕問題」「インターネット規制問題」など多くのことが語られました。


※要注:以上のものは私が見聞きしてきたことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。