演劇『ソウル市民 昭和望郷編』鑑賞

昨年末に寺脇研氏のトークイベントに行った際に、寺脇氏が観劇に行って大変面白かったし今という時代に観るべきものがあると語っておられたので行こうと決心。吉祥寺での公演の予約はできませんでしたが、関東では最終公演の埼玉県富士見市の公演が予約できました。ということで、富士見市文化ホール・ふじみきらりにて公演された劇団・青年団による舞台演劇『ソウル市民 昭和望郷編』を友人と鑑賞してきました。作・演出は平田オリザ氏。


『ソウル市民』は全三部作あるそうで、第一部にあたる『ソウル市民』は1989年に上演された日本が日露戦争後に朝鮮半島を併合していく中でのソウルに移り住んだある日本人文房具屋一家の光景を描いたもの、第二部にあたる『ソウル市民 1919』は2000年に上演され1919年の3.1独立運動が起こっている最中のソウルに在住の日本人文房具屋一家の光景を描いたもの、そして今回観に行った第三部にして完結編の『ソウル市民 昭和望郷編』は1929年の世界恐慌前夜であり日本による朝鮮半島支配開始から20年弱経たソウルに住む日本人文房具屋一家の光景を描いた作品。それぞれの作品が10年の歳月で連続しつつも分断されているため、個別に独立した作品としても成立しているようです。
話の設定として、文房具屋一家の主人夫婦は満州に視察に出かけており、その家の主人の子供たち(長男と三姉妹)とその主人の兄弟(親族)およびその周辺をとりまく人々が登場。文房具屋一家の長女に婿入り予定のアメリカ帰りの投資を学んでおり店の経営を合理化しようとする人物が多少は観客にとっては好ましくない性格の人物として描かれていますが、その他の人々は多少は意地が悪かったり偏見を持っていたりしますがいわゆる「世間一般で」という意味で「良い人」たちばかり。今回の劇では実際に登場しない文房具屋の主人も先代が植民してきた二代目であり、三世代目となるその子供たちは(日本の統治下の)朝鮮半島で育ち物心ついたという設定。また文房具屋一家はそれなりの大店ということもあってか、日本人書生や日本人の女中が二人いたり、長男と三姉妹とともに育った同世代の朝鮮人の元書生のエリート(京城帝国大学を卒業し高等文官試験に合格)や朝鮮人の女中二人も同居。


平穏な一家の中に存在する特別に意識されているわけでもないしかし厳然として存在する日本人/朝鮮人の区別。先に近代化を果たしたということで、朝鮮人満州の現地民をどこかで一段低く見ている視点。様々な登場人物が入ってきたり出て行ったりして入れ替わりながらお茶を飲み会話するというただそれだけでその人物の一家の中での位置付けや立場が、観る者に沁みるように伝わってきます。国が国を、人が人を支配するということは、強制力を前面に出したものとしてではなく、従順さや同化することを「自然に」求める圧力のようなものとして描写されていました。
一家の良き人たちが、今の時代では通常考えられないようなあるいは言明することが躊躇われるようなことを、平然と言えてしまう時代・社会背景。物語の中でのつい数年前にあたる関東大震災にて「じゅうえんごじゅっせん(十円五十銭)」と正確に発音できなかった朝鮮人は虐殺されたとのことで、家内の者に「ちゃんと(発音して)言えるようにね」と平然としかし優しく思いやりをもって言えてしまう感覚。誰もが明確に強制力を伴わせての支配などしていない(もちろん「反抗」が起こればすぐに強制力は発動される状態であると想像できる)、一見平穏な人々がある人々を「支配している」という状態の描写は秀逸と言う他ありませんでした。


家の中にはラジオがあり、一家にニュースを届けることで外の情報を伝え、日本や西洋の音楽が流れ気分を和ませる役割を果たします。そんな中、居間で朝鮮人女中二人だけしかいなかったときに不意に朝鮮語の唄(「アリラン」)が闖入するが如く流れはじめます。その唄に合わせて女中の一人が唄いながら踊り始めます。それを見たもう一人も感染したように声を合わせて踊る姿は非常に感動的でした。そこには虐げられている者が隠れて抵抗のために踊っているといような意識はあまり感じられず、しかし「自分たちの」音楽が流れたら体が踊らざるを得ないという意味で「支配されている」事実の渦中にある身体・文化の有り様が示されていたように感じました。それは決して簡単に抑圧したり同化させたりできるものではない、と。


そんな一家の元に、日本(の内地)から「満蒙文化交流青年会」なる怪しげな団体が訪れます(大店として文化・芸術活動のパトロンとしても役割を果たしているため)。団長以下団員3名、しかし真のリーダーは団員の中におり、何か秘密があることが示唆されます。その団長・団員の物言いや挙動はどこか変なところがあり、最初は観客の笑いを誘いますが、ある言葉と動作が示されることで(その意味がわかる人には)緊張が走ります。何か言葉を発したり動作を行った後に4人揃って「南無妙法蓮華経」と合掌。そして「宮沢賢治」という単語。彼らは芸術を普及するという文化交流青年会という姿とともに、法華経を信奉する国柱会の信者であり、宮沢賢治(そして石原莞爾)の思想を内に秘め、朝鮮半島および満州を巡察(そして後述するように煽動)する役目を負っていることが描写されます。
彼らは、一家に幼い頃から世話になっている朝鮮人の元書生のエリートに「朝鮮半島は今のままでよいと思いますか」と問いかける。「蒙古、満州、朝鮮、親日的な支那北部政権がそれぞれ独立して近代化し、日本と『五族共和』することで連邦制を敷いて、米英との最終戦争に備える」という思想を魅惑的に語る。日本人一家に育てられ日本が設立した帝国大学を卒業し現地支配の実務を担う官僚として働く朝鮮人青年には、後に支配の正当化にも使用されるこのイデオロギーがこのときどのように聞こえたのだろうか、と想像をかきたてられます。「なぜこの私にそのようなことを言うのですか」と当惑する朝鮮人青年に対し、彼らはメッセージの送り主が「キシ」という官僚であることを告げその場を去る・・・。


世界恐慌直前・満州事変前夜の当時は、日本の内地は行き詰まっており、朝鮮半島(の政治体制)はまだ若く希望があり、満州はより若く希望があるという認識が、登場する新世代の将来への希望(と暗雲)が軽やかさと危うさとともに示されていました。
そして「植民地支配」を巡る二つの言説の―相手の近代化のために役に立ったとか感謝する者も多かったとか他の植民地支配よりマシだったと過去を正当化したがる言説と、相手は虐げられた被害者であり相手に塗炭の苦しみを与えてきたと国家を告発したがる言説との―不毛な二項対立を越えて、国が国を人が人を支配するとはどういうことだったのかということが、どこか虚しさと滑稽さを交えつつ、僕らの日常からそう遠くない延長線上に有り得るものとして見事に表現されていたように思いました。

友人が東京に来る

平田オリザ氏の演劇『ソウル市民 昭和望郷編』を観に行こうということで大学時代の友人が大阪から遊びに来ました。前日の土曜日の20:00頃に到着し、kawakitaオススメのお店を3軒ハシゴ(飲み屋ではない)。日曜日も、演劇を挟みましたが、東京の僕が美味しいと思ったお店に3軒行きました。たくさんのお店に行きたいとのことで、各お店ではそこのこれはうまいと思われる料理だけをピックアップして腹三〜五分目で抑えることに。そんなに食べてないように思うのですが、多くのお店を巡ったので精神的にお腹いっぱいになりました。友人も満足してくれた模様(と思いたい)。