石川九楊氏トーク「漢字と仮名の二重構造がいかに歴史をつくりだしたか―誰も考えなかった新しい日本の歴史像―」参加

「二重言語国家・日本」の歴史ジュンク堂池袋本店で開催された石川九楊氏のトーク「漢字と仮名の二重構造がいかに歴史をつくりだしたか―誰も考えなかった新しい日本の歴史像―」に参加してきました。石川氏はそもそもは中国の書史、そののち日本の書史を研究されている方で、ご自身も書家であるそうです。


※要注:以下のものは私が見聞きしてきたことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。


古代・中世・近世の国家や近代国家などの政治共同体にとって「言語」の重要性は言うまでもないと思われますが、それぞれの時代で記述された「書」の筆致・筆跡(石川氏は筆蝕(ひっしょく)と言われておりました)を研究することから見えてくる時代ごとの変化があるそうです。
それはありがちな日本がユニークで特殊な国であるという歴史ではなく、現在「中国」と呼ばれる地域と東アジア周辺地域が密接なつながりを持っており、現在「日本」と呼ばれる地域が「海外」から影響を受け自らの文化を外の文化と対をなす形で形成してきた歴史が見えてきました。

  • 文字の歴史から考えると、縄文時代弥生時代を分けるのは稲作ではなく、日本列島の地域で文字が使われる以前・以後で分けられるのではないかとのことでした。つまり文字を使用する人々が大挙この地域に移動してくることで文化が変わったのではないかと。
  • 白村江の敗戦以前は東アジアの各地域は中国とゆるやかに地続きな関係があり、白村江以後、中国東北部の地域に出現した渤海国朝鮮半島に成立した新羅、日本列島に成立した大和朝廷が中華から「独立」し、政治体制(律令制)を模したと考えられるとのこと。
  • 律令制下、「写経」で漢字で書かれたものを模写しながら論理的な言葉・概念を学ぶとともに、そこからはみ出てしまう「何か」をなんとか表現しようとして「仮名」が生まれたとのこと(万葉仮名)。
  • 9世紀後半から10世紀前半にかけて女手(=平仮名)が形成。これは日本文化にとっての画期であるとのこと。
  • 漢語が大陸の政治の論理的・概念的な言語にあるのに対して、和語はあいまいさを含み日本独特の自然や性愛・想い・情念を表す。漢字は一文字で意味が確定しているので論理的思考に向いており、女手は縦書きすると連続して字を書けるので想いを書き連ねやすい構造になっているとのこと。
  • 日本オリジナルの女手で書かれた古今和歌集源氏物語こそが日本最初のオリジナルな文学と言えるとのこと。
  • 鎌倉時代には宋の、室町時代には明の知識人が日本に移住。禅僧寺院(京都五山鎌倉五山)では中国語で話され文書は漢語で作成され、漢語と和語の混交が始まった。日本の朝廷に武士(武官)はいても文官がいなかったのは、禅僧や海外の知識人がその役割を担っていたから。
  • 戦国期から江戸時代にかけて寺社は政治的な力を削がれ、「書」の観点からすると江戸時代は停滞していたとのこと。

近代以降については「日本と東アジアの近代・現代・未来」と題され、以下の点が印象に残りました。

  • 漢字は2文字を組み合わせるだけで新たな意味を形成するので、論理的には千文字で百万の意味を作ることができ、様々な概念を表現できる懐の深い言語であるとのこと。
  • 日本は漢字があったため西洋の概念を取り入れやすかった。さらに概念の意味がわからなくても平仮名・片仮名で何でも受け入れたので近代化が早かったのではないか。
  • 中国で近代化が遅れたのは、漢字のみだったので自分たちの概念と合致しなければ概念レベルにおいて排除の論理が働いたからでは。
  • 日本が近代化という面では先に行ったが、これまでの長い日中の歴史をみれば例外状況なのかもしれない。現状に多々問題はあれど、長い時間をかけて西洋の概念を吟味して自分たちの価値観に取り入れ近代化を遂げつつある中国はこれからまた「世界の中心」になる可能性が高い。
  • 外の概念を柔軟に受け入れる和語(平仮名・片仮名)を使用する日本と論理一貫した漢語を使用する中国とは長い歴史を通じて相補関係にある。

書かれた言葉=「書」を研究していくことで上記のような東アジアの関係が見えてくるとのことで、「書」から見た歴史はとても興味深く面白かったです。


※要注:以上のものは私が見聞きしてきたことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。


終了後、書家でもある石川九楊氏のサインをいただけるとのことで、『「二重言語国家・日本」の歴史』を購入してサインをいただいたのですが、どこからどう読んでも「石川九楊」とは読めないというか絵に近い「何か*1」を書いてもらいました。「書」の勉強が足らんのでしょう・・・。