立岩真也氏×稲葉振一郎氏トークセッション参加

三省堂本店で開催された立岩真也氏×稲葉振一郎トークセッションに参加してまいりました。以前ジュンク堂池袋本店で開催されたトークの続きとのことで、僕はそれには参加していなかったのですが、話の内容は立岩信也さんの関心テーマと稲葉振一郎さんの著作(『経済学という教養』、『「資本」論』)に関することでした。


※要注:以下のものは私が見聞きしてきたことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。


「社会の財を分配する正義はどのように根拠付けられるか」という問題に対して、

  • 稲葉氏:(注意:kawakitaが稲葉氏の『「資本」論』を読んだ理解なので正確でない可能性があります。)
    各人には市場に労働力を提供する人的「資本」があると擬制する。各人を人的資本という財産権を所有する主体とみなすことで社会権生存権)を基礎付ける。
  • 立岩氏:
    人ごとに労働能力が違うのは当然。労働できるできないにかかわらず、一人一人が存在ための程度には分配がなされてよい。

と、お二人とも再分配政策の実施について賛成という意味で同意見の様なのですが、再分配をポジティブに評価する原理は違うのではないか、そこにはどのような違いがあるのか明らかにしようという観点から立岩さんが質問し稲葉さんがそれに答えるという形でトークは進行しました。結論から申しますと、対立軸を鮮明にしようとする立岩さんに対して、稲葉さんはそれらを考えるために必要な前提を説明されるという応酬がつづいたのですが、今回のトークでは対立軸が鮮明になるところまでは行き着かなかったとのことです(次回も企画されているようです)。ですがトークで話された様々な「前提」は、世に流れている経済自由主義肯定論が見落としている(あるいはあえて見ようとしない)と思われる点が多々あり、経済学に関しては素人な僕としては、大変参考になりました。
以下、その前提集。

  • 自由な完全競争の市場経済を経済学者が肯定できるのは、実は初期条件が存在することが前提。
  • 誰にも取引を強制されず、取引に参加しなくても生きていける自給自足に近い条件が実は想定されている。出発点は最低限現状で人は生きていける状態。他者と取引しなければ生きていけないという条件ではなく、ここでは取引はしてもしなくてもよいことで新たによいことがあると期待できるから市場経済は肯定されている
  • 市場のメリットは分業制。市場が順調に成長していくと労働が特化され個別の自給自足の能力は減退していく(取引をしなければ立ち行かなくなっていく)。
  • 人は消費する存在。人は既に在るものを減らしながら生きている。放っておいても今日も明日もそのままでいられるのか、放っておいたら死んでしまうのか。現実的に想定されるべきは後者。
  • 市場経済肯定論者は市場が社会全員を底上げしていると主張。しかしそれは社会成員全員がなんとか生きていけているというゼロポイントが前提とされていなければ成り立たない。必ずしもそうではない(放っておいたら生活が困窮する人、死ぬ人がでるという)状態がシステマティックに存在するとすれば、市場の底上げ機能は不十分かもしれない。それが証明できれば、結果の平等を目指すための再配分は肯定的にとらえられる可能性がある。
  • 「初期条件」は前のプロセスの「結果」であり、「結果」は次のプロセスの「初期条件」となる。ある一時点の状態を平等にすればよいという話ではない。「初期条件」であれ「結果」であれその状態がどのような最低条件を満たしていなければならないかということが重要。
  • 結果の平等原理は有効な場面と有効でない場面があるのに、それが見極められないまま一方的に批判されている面がある。
  • 不平等で格差の大きい社会では、コミュニケーションが成り立たない。市場はコミュニケーションが成り立つことが前提とされている。不平等を許容すると言ってもコミュニケーションが成り立つ範囲内。社会成員どうしが共感できる状態が前提。なので状態をある一定のところまでは平等にすることは必要。
  • 最終的には状態が平等か不平等かではなく、全体がよい状態に進んでいるか進んでいないかというプロセスを重視。社会のダイナミズムはある程度の安定性の中でこそ起こる。食い合い・奪い合いのダイナミズムは単なるカオティックな混乱。守らなければならない秩序があるのではないか。

※要注:以上のものは私が見聞きしてきたことを書き留めたものであり、発言者の真意を正確に反映しているとは限りません。


経済学をご存知の方からすると当然の前提かもしれませんが、僕はなかなか目から鱗でした。「経済学という教養」が必要なようです。

上野千鶴子×北田暁大トークセッション「ロマン主義的シニシズムとミゾジニー」参加

ジュンク堂池袋本店で開催された上野千鶴子×北田暁大トークセッション「ロマン主義シニシズムとミゾジニー」に参加してまいりました。「ロマン主義シニシズム」と「ミソジニー」というタイトルでしたが、北田さんの『嗤う日本の「ナショナリズム」』の内容をもとに、主に前者が語られ後者はあまり触れられませんでした(両者の関連を詳細に聞きたかったこともありちょっと残念)。ですが会場は元教官の上野さんによる元ゼミ生・北田さんへの公開口頭試問といった趣や、また新世代社会学者との世代交代を意識された紹介といった趣もあり、上野ファンのための格好の北田入門といった内容でした。上野さんの度重なる鋭い質問・ツッコミのおかげで北田さんの仰られている「ロマン主義シニシズム」とは何なのかということをより理解・実感できたように思います。

KawakitaのBookmark (2005/11/21-27)